鎌倉の山(山の旧跡)

鎌倉の山(山の旧跡)

HOME > 歴史・旧跡-鎌倉の山(山の旧跡)ページ

鎌倉をとり囲む標高100~150mほどの山稜部には、古くは古墳時代の横穴墓が存在しました。また鎌倉時代になると、山間の谷戸の斜面を削り、寺院や武家屋敷が建てられるようになりました。
そして、斜面を削った「切岸」には僧侶や武士の墓所(やぐら)が掘られました。
鎌倉の山は主に凝灰岩という軟質の岩でできており、掘りやすかったことも、こういった墓所が多くつくられた要因となりました。
谷戸の奥や切通では、いまも多くのやぐらを目にすることができます。
山稜部には、切岸・掘割・土塁など、外敵を防ぐための要害遺構が数多く存在しますが、現在の鎌倉の山々の尾根は、ハイキングコースとなっています。
山歩きと旧跡めぐりをともに楽しむことができ、ハイカーの人気を集めています。

鎌倉の谷ページはこちら


より大きな地図で 鎌倉の山 を表示

山名 備考
竜燈山(村岡)  
旗立山(村岡)  
八幡山(村岡)  
兜山(村岡)  
平戸山(玉縄)  
玉縄山(玉縄) 貞宗寺のある山です。
陽谷山(植木) 龍宝寺のある山です。
六国見山(高野)  
勝上嶽(天園)  
鷲峰山(天園)  
大平山(天園)  
天台山(天園)  
胡桃山(天園)  
稲荷山(浄明寺)  
稲荷山(十二所)  
明石山(十二所) 明石谷の背後にある山。明石山・柏原山・羽黒山と連なり鎌倉市と逗子市の境界をなしています。
柏原山(十二所) 久野谷郷柏原村の背後にある山。明石山と連なり十二所と柏原を結ぶ往来道(稲荷坂)があります(『鎌倉志』)。
羽黒山(十二所) 明石山・柏原山・羽黒山と連なり鎌倉市と逗子市の境界をなす山です。
大室山(釈迦堂)  
衣張山(詫間) 絹張山・絹掛山・衣掛山・犬懸山・犬掛山・犬駈山とも書きます。標高120mの山で、犬懸ヶ谷の東南に位置します。かつては山のなかに大平・西ヶ谷・蛇屋蔵・地蔵・久保などの地名が存在していたといわれています。
宅間山(詫間)  
浅間山(詫間)  
祇園山(大町)  
神輿山(甘縄)  
源氏山(扇谷)  
丸山(雪下) 聖天山・鶯谷山・鶯山ともいいます。
桔梗山(常盤)  
鎌倉山(手広)  
浜見山(辻堂)  
名越山(名越)  
神武寺山(沼浜)  
鷹取山(沼浜)  
   
   
   

 

やぐら

やぐらとは、中世鎌倉をとりまく丘陵山腹をうがってつくられた仏堂的横穴墳墓などの総称です。三浦半島や房総半島にも点在しています。
江戸時代には漢字で窟・矢倉・矢蔵・谷倉・屋蔵などともあてられました。呼称は岩倉・谷戸倉・谷津倉などからの転訛、あるいは中世期の鎌倉で、洞窟・岩穴を意味する方言だったともいわれていますが、定説はありません。
貞亨年間(1684~1688年)に編纂された『新編鎌倉志』の正覚寺の項に、「三浦道寸城跡」として、やぐらの記載があり、少なくとも江戸時代には、やぐらという言葉が使われていたことが考えられます。
やぐらは一般的に、内部は方形に削られた玄室、中央に羨道(玄室に向かう通路あるいは入口)があります。
墳墓としてのやぐらには、玄室内に壇を設けて納骨穴をつくり、その上に五輪塔や宝篋印塔など供養塔を置き、内部は漆喰で塗り固められているものも残っています。
仏堂的側面の強いやぐらには、壁面に梵字や五輪塔・仏像などが彫刻されているものもあります。
現在、鎌倉市内で知られているやぐらの数は1,000基を超します。埋もれているものを含めればおよそ2,000基以上に達するといわれています。

朱垂木やぐら
西御門の山奥、百八やぐらに連なる西方のやぐら群のなかの一窟です。
天園ハイキングコースの途中にある十王岩の南西の山腹にはおよそ50ほどのやぐら群が散在しますが、そのなかのほぼ中央にあります。
やぐらの前面には低い基壇があり、仏像を安置したと思われますが、このやぐらには納骨穴がありません。
羨道の天井に、紅殻塗りの太い平行線の模様が多数描かれています。これは仏殿などにある朱塗りの垂木を表したものとみられ、そこから朱垂木という名前がつけられています。
国指定史跡「建長寺境内」のなかにあります。

百八やぐら
二階堂・覚園寺山門跡の庚申塔の辺りを右に折れ、小道を進むと覚園寺裏山の山頂と山腹の崖辺りから、尾根をはさんで杉ヶ谷と呼ばれる谷戸の斜面には多数のやぐらがまとまってあります。
およそ180穴ほどあるといわれ、鎌倉で最も規模が大きいやぐら群です。数が多いことから、仏教でいう百八の煩悩になぞらえてつけられた名のようです。
やぐらの奥の壁面には五輪塔・宝篋印塔や仏像を浮き彫りにしたもの、梵字が刻まれているものなどがあります。
ここでは一般的なやぐらの形から珍しい様式まで、鎌倉にあるほぼすべてのやぐらの形式がみられます。神奈川県指定の史跡となっています。

日月やぐら・唐糸やぐら
名越から浄明寺に抜ける釈迦堂切通の上方には釈迦堂ヶ谷奥やぐら群があります。
元は50基ほどあったようですが宅地造成で切り崩され、その姿は残っていません。
このやぐら群の西側の釈迦堂トンネル上尾松やぐら群のなかに、日月やぐらがあります。
やぐら内部の壁面・納骨堂の丸い穴をそれぞれ日輪のかたちに、二重に掘られた穴を月輪のかたちになぞらえて「日月」と呼ばれるようになりました。
唐糸やぐらは、前掲やぐら群の西側にあり、室町から江戸初期につくられた短編物語である御伽草子の『唐糸草子』ゆかりのやぐらといわれています。
源頼朝の従兄弟である木曽義仲は、源頼朝を暗殺しようと、家臣手塚光盛(手塚太郎)の娘で琵琶と琴の名手唐糸に様子をうかがうよう命じて鎌倉へと送りました。
唐糸木曽義仲を討とうとする源頼朝の企てを知って、源頼朝を暗殺しようとしましたがはたせず、このやぐらに幽閉されてしまいました。
その後、故郷から母の唐糸を探しにきた娘の万寿姫源頼朝に気に入られ舞を舞いました。
そして、源頼朝に願い出て母親を救い出したという伝説があります。
日月やぐらと唐糸やぐらは、平成22年(2010年)に「釈迦堂口やぐら」として国指定史跡となりました。現在調査中のため非公開となっています。

明月院やぐら
明月院開山堂の横にあるやぐらで、間口およそ7m・奥行き6m・高さ3mと、鎌倉に現存するやぐらのなかで最も大きいです。
壁面には基壇が設置され、壇上に釈迦如来・多宝如来が浮き彫りされています。
基壇上部は、十六羅漢像の浮き彫りもあり、このやぐらが「羅漢洞」といわれるゆえんとなっています。
関東管領で明月院開基の上杉憲方の墓所と伝えられ、中央に宝篋印塔が祀られています。

多宝寺址やぐら群
扇ヶ谷・浄光明寺の背後の丘陵東側、谷奥にあるやぐら群です。
名前は、この谷に開かれた多宝寺に由来し、長老覚賢の大五輪塔の前面に分布しています。
鎌倉時代から室町時代中期にかけてのやぐらが16穴あります。五輪塔や常滑の壺・かわらけなど貴重な出土品が多くあります。

瓜ヶ谷やぐら群
葛原岡神社の北側の谷にある五穴からなる鎌倉時代のやぐら群で、内部に丸彫りの地蔵菩薩像があるものは「地蔵やぐら」ともわれています。
鳥居形・五輪塔など壁面彫刻が多いことでも知られています。鎌倉市指定の史跡となっています。

腹切りやぐら
宝戒寺後方の屏風山と小富士山に囲まれた葛西ヶ谷の奥、東勝寺跡内にあるやぐらです。
新田義貞の鎌倉攻めで自刃した北條高時はじめ、北條一族の屍を葬ったとされていますが、実際の埋葬地は釈迦堂ヶ谷奥やぐら群と推定されています。
北條高時の墓と伝えられる石を積んだ塔も建っています。
この腹切りやぐらを含む葛西ヶ谷の北條一門滅亡の地として知られる東勝寺跡は、国指定史跡となっています。

 

横穴墓

横穴とは、自然の山腹や丘陵地帯の谷などの横腹を掘り込んでつくった埋葬用の墓穴のことです。
石を組んだ横穴式の古墳とは区別されます。砂岩や凝灰岩などの軟らかい岩山やローム層の台地に掘られるため、ほぼ全国で認められます。
谷の奥に群集してつくられていることが多いです。形は、地方により少々異なります。
一般的に広くて天井の高いドーム型の玄室(奥の部屋)と、その前面に狭くて低いトンネル状の羨道(入口)をつくり、玄室の平面は方形・矩形で、棺や棺座が置かれています。
鎌倉の横穴墓は、発掘調査の結果、副葬品の形などから、古墳時代だけではなく奈良時代にいたるまでつくられていたようです。
その後、中世にはやぐらとして転用された例がわずかにあります。近年では第二次世界大戦中の防空壕や倉庫などに使用されたりしました。
鎌倉とその周辺の横穴群は、およそ170ヶ所ほどあったようですが、近年の宅地造成などの開発により破壊が進んでいます。

洗馬谷横穴群
大船・関谷の玉縄城址近くにある洗馬谷横穴群は四穴からなり、八世紀末のものといわれています。
横穴の壁に線刻画があることでも知られています。
古代日本の成人男性の髪型である「みずら」を結った人物が舟に乗り、楯を持って弓を射あっている姿やアシの茂った様子を表したと思われる縦線など、
大船がまだ広い沼地だったころの領土争いなのか、水上での舟の戦いが描かれています。
この横穴墓に葬られた死者の功績を称えたものと推測されています。
壁面の線刻画は珍しいものです。鎌倉市指定史跡です。

千葉ヶ谷横穴群
鎌倉市役所前の新道から北へ入った小さな谷戸は、千葉ヶ谷といわれ、源頼朝の重臣だった武将千葉常胤の子孫が代々居住していた千葉屋敷があったといわれています。
この谷の尾根は源氏山につづいています。その尾根に近い山腹に横穴が三穴あります。
そのなかの1つはアーチ型の天井で内部も広くつくられています。
この横穴群は八世紀ころにつくあれたとみられます。現在は個人の敷地内にあります。鎌倉市指定史跡です。

このほかに、消滅したものを含めて、笛田横穴群(八穴)、雪ノ下大蔵山横穴群(五穴)、寺分狐坂横穴群(三穴)、山崎横穴群(四十九穴)、上町屋横穴群(三穴)、笹目谷横穴群(四穴)、長谷光則寺谷横穴(一穴)、稲村ヶ崎姥ヶ谷横穴群(二十九穴)などがあります。

▲ページトップに戻る