鎌倉もののふ風土記-鎌倉の芸能

鎌倉もののふ風土記-鎌倉の芸能

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鎌倉にも農作業の合間に歌ったり祭りの際に踊ったりする芸能が古くから伝えられてきましたが、近年、しだいに姿を消しつつあります。
各地域に伝わる芸能を保存し育成しようと、鎌倉では年に1度、郷土芸能大会が開かれています。

鎌倉木遣唄

鎌倉鳶職組合木遣唄保存会によって伝承されています。
毎年1月4日、鶴岡八幡宮境内で行われる手斧始式で御神木が二の鳥居から舞殿まで運ばれるときに歌われています。
手斧始式は、古来、重要な工事を始める前に行った神事で、今日では建築業者の1年の事始めの儀式となっています。
鎌倉木遣唄は本格的な江戸系鳶職木遣唄で鎌倉市指定無形文化財です。

鎌倉神楽

湯立神楽・湯花神楽ともいわれます。
釜に湯をたぎらせ、山飾りを立て、その「山」のうちで、現在では神職が舞い、神楽が奉納されます。
「山」は神の依り代です。
除災・招福を祈って行われる坂ノ下御霊神社の9月の例祭など、神職によって伝承されています。鎌倉市指定無形文化財です。

鎌倉天王唄

材木座が和賀といわれていた鎌倉時代から、土地の人々に愛唱され、歌い継がれてきたことが、歌詞の内容から推測されます。
源頼朝が治承4年(1180年)に鶴岡八幡宮を造営、建久2年(1191年)に再建したときには、海上輸送された多くの材木が材木座海岸に陸揚げされ、この唄を勇ましく歌いながら境内まで材木を運んだと伝えられています。
和賀江嶋の築港後も、諸国から届いた品を陸揚げする際にも歌われていたと思われます。
その後、天王祭で天王唄として歌われ、すたれることなく今に伝承されています。

飴屋踊り

飴屋踊りは江戸時代からあり、鎌倉には明治時代に入り、三浦方面から伝えられてきたといわれます。
行商などの人たちが鎌倉と三浦を行き来するうちに自然に伝えられたようです。
飴屋踊りという名称は、この踊りを踊りながら飴を売り歩いたところからつけられたようです。
鐘や太鼓・拍子木・四つ竹などの鳴り物に合わせて派手な着物を着て踊ります。
東海道五十三次を売り歩く様子を歌った「白枡粉屋」や「四つ竹踊り」「粉摺」などが伝わります。

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