鎌倉尼五山

鎌倉尼五山

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鎌倉尼五山・鎌倉五尼寺・鎌倉尼寺五山などともいわれます。鎌倉五山とともに尼寺の格式を表すため制定されました。
第一位・太平寺、第二位・東慶寺、第三位・国恩寺、第四位・護法寺、第五位・禅明寺。
現存するのは第二位の東慶寺のみであとは廃寺となっています。

(京都尼五山) 一位:景愛寺 二位:護念寺 三位:檀林寺 四位:恵林寺 五位:通玄寺
(鎌倉尼五山) 一位:太平寺 二位:東慶寺 三位:国恩寺 四位:護法寺 五位:禅明寺

 
 
 
 


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太平寺

西御門の八雲神社付近にあった太平寺は、弘安5年(1282年)ころ、相模国の豪族の娘妙法尼が釈迦如来像を祀り、8代執権北條時宗の招きにより宋から来朝した大休正念を導師として仏殿供養を行ったのがはじまりといいます。
室町時代初期に、足利基氏の未亡人清渓尼が中興し、鎌倉尼五山第一位となりました。
しかし、小田原北條氏との戦いで武勇を知られた里見義弘率いる水軍が弘治2年(1556年)に鎌倉に攻め込んだ際、足利義明の娘青岳尼が安房国に渡ったため廃寺となりました。
北鎌倉の円覚寺の国宝・舎利殿は、太平寺の仏殿を移したものです。
その後、寛永19年(1642年)、日隆を開山とする日蓮宗の尼寺・高松寺がこの辺りに建てられましたが、高松寺も移転となりました。


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東慶寺

東慶寺は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院です。
山号は松岡山。寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称します。本尊は釈迦如来。開基は北條貞時。開山は覚山尼です。


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国恩寺

国恩寺は、鎌倉尼五山の1つで、第三位に列しました。東慶寺の門前に位置していましたが現在は廃寺となっています。
天正16年(1588年)の『北條家印判状(東慶寺文書)』に「とうけい寺門前の内、こくおん寺分した地、三くわん四十文」云々と記録があるほか、永徳3年(1383年)の『夢窓疎石三十三年忌仏事結解(黄梅院文書)』には「諸禅律僧寺十七箇所」にみえます。また『上杉系図』によれば上杉憲直の娘に国恩寺の長老となったものがいたとしています。
『殿中以下年中行事』には尼五山の1つとして毎年正月16日に御所に参上し茶の饗応を受ける習わしだと記されています。


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護法寺

『風土記稿』によれば荏柄天神社の傍らにあったといいます。
『殿中以下年中行事』には毎年正月16日に鎌倉御所で茶の饗応を受けることになっていたことが記されています。永禄9年(1566年)の大道寺資親の書出に円覚寺寿徳庵の寮舎である養竜軒をして護法寺内の地一貫文分の地を安堵すると記されています(ただし『五山記考異』によれば養竜軒は佛日庵の寮舎としています)。瑞泉寺の蔵の「水帳」に、杉本ノ下と並んで五宝寺という名が記されています。
『延宝伝燈録』に護法寺の愚仁禅師の伝説が記されています。愚仁仏光禅師(無学祖元)に謁したといいます。
二階堂の護法寺のほかにも、小町に護法寺という地名が残っています(『亀田「鎌倉」』鎌倉の地名により)。


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禅明寺(禅妙寺)

『殿中以下年中行事』には毎年正月16日に鎌倉御所に招請されて茶の饗応を受けることになっていたことが記されています。尼五山の1つですが、廃址・廃年ともに未詳で正確な場所が判明していないとされる見解がほとんどで、報国寺か衣張山付近とだけいわれてきました。
『鎌倉廃寺事典』には犬懸ヶ谷に日光山(日光別当犬懸谷坊)という座禅院があったと記載があり、付近には山神社もあったとされています。現在の鎌倉市浄妙寺1丁目にある犬懸ヶ谷は、奥が衣張山への登り口になっており、平成巡礼古道という山道が名越や大町方面へつづいています。平成巡礼古道の入口(犬懸ヶ谷)は、岩が削られて谷戸になっており、現在は一面が杉林になっています。入口にある「平成巡礼古道」の看板脇の崖に大きなやぐらがあり、裏に大きな銀杏の木がある民家周辺がかつての禅明寺の跡地と考えられます。


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