鎌倉七座

鎌倉七座

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鎌倉七座は芸才七座ともいわれます。建久3年(1192年)、鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、府下7ヶ所を定めて交易の場所としました。
絹座・米座・炭座・千朶積座・相物座・桧物座・馬商座(博労座)などです。
のちに塩座・桧座・材木座・油座・紙座・銅座・中座などができ、それぞれ分業販売を行っていました。南北朝期に僧玄恵の著『庭訓往来』に「絹座・炭座・米座・檜物座・千朶積座・相物座・馬商座」と記されています。
商人や手工業の職人のあいだに同業組合のような「座」が設けられ、商人たちは、幕府や寺社に運上(税金)を納めることによって、その権利を保護されました。魚・米・器・塩・刀・衣・薬の専売店をいうこともあります。つまり販売や製造の独占権をもつ組合のようなものです。
材木座は、和賀(由比ヶ浜)にあり、いまもその名を残しています。
当時、材木は海上を運ばれてきて、材木座の浜が鎌倉の港になっていました。遠浅で船の出入が不便であったため、北條泰時の時代に防波堤として全面に和賀江島が築かれました。
現在、飯島岬の西側に、干潮時に200mほどの小石の砂州となってあらわれるのがその防波堤の跡です。

絹座は絹の需要が拡大したことで興った座です。
炭座は下馬付近にある延命寺の西側を流れる滑川のことで、滑川のなかでもこの周辺は炭売川と呼ばれていました。
米座は大町四つ角の西側で、米町(穀町)という町屋がありました。
桧物は桧の皮でつくる容器のことです。和賀江島という港を築き材木を陸にあげる場所であり、「桧物座」は「材木座」ともいわれました。
千朶積は商品を高く積み上げるものです。「千朶積座」は「高荷座」ともいわれます。
相物は生干しの魚のことで、合物・塩干物ともいいます。大町四つ角の南側にあった魚町橋周辺にあったといわれています。
馬商は馬方の組合です。「馬商座」は「馬座」「博労座」ともいわれました。
「絹座」は「練絹座」ともいわれ、絹織物の加工・販売にあたった座のことで、京都祇園社を本所としていた記録が残っています。
和賀江島の港とならび鎌倉の港の1つ六浦湊に「塩座」があったとされています。


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