鎌倉の名数-鎌倉七塔辻

鎌倉の名数-鎌倉七塔辻

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2本以上の道が交わった場所を辻といい、辻に石塔が置かれた場所を塔ノ辻といいます。
現在、由比ヶ浜三丁目の由比ヶ浜郵便局近くにある変形五輪塔(火輪・地輪だけが残る)の地(笹目)が鎌倉唯一の遺跡であり、地名の遺称です。
江戸時代の古絵図類によれば、鎌倉には「笹目」のほか「建長寺前」「円覚寺前」「浄智寺前」「鉄ノ井辺(鉄観音堂前)」「下馬ノ塔(六地蔵付近)」「小町宝戒寺南(筋替橋付近)」などの7ヶ所に「塔辻」または石層塔がありました。
『鎌倉志』も「塔辻は、佐佐目谷の東南道端に二所に石塔あり、鎌倉に此の類の塔多し、…建長寺、円覚寺の前、また雪下鉄観音の前、また小町口にもあり」と記しています。
鎌倉時代・南北朝時代の鎌倉では、小町大路の北端の辻、いわゆる筋違橋と宝戒寺付近一帯の呼称でした。『鏡』の嘉禎元年(1235年)6月29日條には将軍藤原頼経が明王院五大堂供養に臨むために若宮大路沿い幕府の南門を出御したあと「小町大路北行、塔辻東行」して明王院に向かったと記されています。元応3年(1321年)2月5日條「相州鎌倉塔辻政所東庇」で随求法を書写したとの奥書からと、発掘調査で政所が宝戒寺前方にあったことが確認されました。宝戒寺は後醍醐天皇によって北條高時旧亭跡に建てられ「塔辻宝戒寺」と記されていました(『宝戒寺文書』より)。


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