鎌倉と禅文化

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鎌倉と禅文化

禅宗は、開祖達磨によって6世紀前半に中国に伝えられました。
栄西は仁安3年(1168年)と文治3年(1187年)に宋に渡り、日本の臨済宗の祖となりました。
2代将軍源頼家北條政子の帰依を受け、幕府や朝廷の保護のもと、密教を広めるかたわら、禅宗の振興に努めました。
正治2年(1200年)には、北條政子から寄進を受けた扇谷の土地に寿福寺を建て、建仁2年(1202年)には京都に建仁寺(開基源頼家)を建てました。
また、中国から茶の種(苗という説もあります)を持ち帰って、『喫茶養生記』を著し、日本に茶を飲む風習を広めました。
栄西の弟子明全に師事した道元は、貞応2年(1223年)に明全とともに宋に渡り、曹洞宗を日本に伝え、日本の開祖となりました。
越前国に永平寺を建て修行に専念しました。
宝治元年(1247年)には、5代執権北條時頼に請われて鎌倉を訪れました。
半年ほど滞在しましたが、北條時頼からの寺院建立の依頼を固辞し、永平寺に帰りました。
臨済宗が貴族や武士階級に広まったのに対し、曹洞宗は庶民の間に浸透していきました。
臨済僧蘭渓道隆(大覚禅師)が南宋から商船に乗って来朝したのは寛元4年(1246年)のことです。
その後、建長5年(1253年)に北條時頼に迎えられ、蘭渓道隆は日本で最初の本格的な禅宗寺院建長寺の開山となりました。
建長寺が鎌倉に建立されたことによって、日本全国に禅宗が流布する源ができました。
8代執権北條時宗は、元軍との戦いで死んだ両軍の兵士を弔うために、かねてより崇敬していた南宋の臨済僧無学祖元(仏光国師)を開山に招き、弘安5年(1282年)、円覚寺を建てました。
建長寺と円覚寺は、日本の臨済宗の中心として、禅と武士を結びつける大きな役割をはたしてきました。
禅宗は自力本願であり、坐禅によって自ら悟りを開くことを重んじています。
坐禅とは、結跏趺坐または半跏趺坐して精神を統一し、悟りを求める古代インドの修行形式の1つです。
常に戦場にあった武士は、人生の無常観と罪の意識に目覚めるにつれ、自らの生き方を問うため禅の教えを学び、実践しました。
禅宗の修行者は雲水と呼ばれ、行雲流水の略です。
行方を定めず、ひたすら良師を求めて歩くさまを、雲と水にたとえた呼び名です。
建長寺や円覚寺では、現在も雲水が托鉢を行い、一般家庭を訪ねています。
禅寺では、料理や掃除も修行の一環として重んじられています。
禅寺でつくられる料理を精進料理といいます。
精進とは雑念を去り、一心に仏道に励むことを意味します。
仏教の不殺生戒の教えから魚や肉は使わず、ものの命を活かす教えから、旬の素材を無駄なく使い切るように工夫します。
大根・牛蒡・里芋・蒟蒻・豆腐などを胡麻油で炒めてつくる「けんちん汁」は、蘭渓道隆が野菜の皮やヘタを無駄にしないようにとつくった料理で、建長汁がなまって呼ばれるようになったといわれています。
鎌倉時代、北條氏は南宋にならって五山制度(禅寺の格付け制度)をとり入れていましたが、鎌倉幕府の滅亡後は、京都を中心とする順位が定められるようになりました。
室町幕府の3代将軍足利義満は、鎌倉五山を建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺の順で定め、禅宗の寺院で最も格式の高い寺としました。
室町時代になると、京都の室町幕府の将軍も、禅宗寺院を保護したため、文学・建築・美術などにおいて、中国の宋や元の影響を受けた禅宗文化が栄えました。
鎌倉と京都の五山の禅僧が生み出した漢詩文を五山文学といいます。
禅の法語・偈(仏の教え、仏の功徳を称える詩)・讃(人やものごとの美徳を称える漢文)・詩・日記・紀行文・随筆などさまざまな分野に及びました。
報国寺には開山であった天岸慧広の自筆とされる『東帰集』があり、瑞泉寺には五山版という木版の書籍などが現存しています。
瑞泉寺の裏山にある徧界一覧亭では、鎌倉五山の僧たちが漢詩や漢文をつくったといわれています。
禅宗は建築・彫刻・造園などにも影響を与えました。
建築では、鎌倉に現存する禅宗様建築のうち中世建築物として円覚寺の舎利殿が唯一国宝に指定されています。
絵画では、水墨画や建長寺の蘭渓道隆像を代表とする頂相(禅僧の肖像画)などが盛んに描かれ、頂相彫刻(禅僧の肖像彫刻)では円覚寺の仏光国師坐像、瑞泉寺の夢窓国師坐像、円覚寺白雲庵の東明慧日坐像が現存しています。
鎌倉末期から室町時代にかけては、禅宗式の庭園も造られるようになりました。
また、京都の天龍寺や苔寺として知られる西芳寺の築庭を手がけた夢窓疎石(国師)は、鎌倉の瑞泉寺の開山となり、庭園を築いたといわれます。
この庭園は、昭和45年(1970年)に復元され、自然の山景を利用し、岩壁を削って造った池泉庭園がよみがえりました。
建長寺・円覚寺の庭園とともに、国指定の名勝となっています。

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