鎌倉の名数-鎌倉五名水

鎌倉の名数-鎌倉五名水

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水に恵まれていない鎌倉ですが、なかでも質のよい清水が湧き出る泉を五名水とし、観光名所としました。
『新編鎌倉志』には、「鎌倉に五名水あり」として、以下の5つの記載がありますが、金龍水のように、すでに埋められてしまったものもあります。


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梶原太刀洗水

朝比奈坂切通の太刀洗川に沿った岩肌から湧き出ています。
梶原景時は寿永2年(1183年)、源頼朝の命令を受けて、源頼朝が幕府をひらくにあたり、大きな功績のあった平広常(上総介広常)を討ったあと、この水で太刀の血のりを洗い流したといわれています。


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金龍水

建長寺門前にありましたが、道路拡張工事のときに埋められました。
現在は歩道の敷石にその位置が示されています。
徳川光圀の『鎌倉日記』に「門前ノ池ハ金龍水ト云名水也」とあり、宝永6年(1709年)の「建長寺境内絵図」に、その泉は描かれています。


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銭洗水

佐助の銭洗弁財天宇賀福神社の岩窟に湧き出る清水です。
源頼朝が夢のあお告げで発見した泉といわれています。
その後、北條時頼がこの水で金銭を清めると不浄塵垢が消え、清浄の福銭になると人々に勧めたということから、この水でお金を洗うと何倍にもなって戻ってくるといわれます。
特に巳の日は、笊にお金を入れて柄杓で清水を汲み、お金を洗って商売繁盛などの福徳を願う参詣者が多く訪れます。


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日蓮乞水

長勝寺前から旧名越切通に通じる道の途中にあります。
建長5年(1253年)、日蓮が安房から名越切通を越えて鎌倉に入ったとき、辺りで水を求め、杖を地面に突き刺すと、清水が突然湧き出し、干ばつでも涸れることがなかったといいます。


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不老水

建長寺境内の鎌倉学園の運動場近辺といわれていますが、詳細な場所は不明です。
辺りに住んでいた仙人はこの泉の水を飲んだためいつまでも若く年をとらなかったことから、別名、仙水・仙人水ともいわれています。


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