侍と武士

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このページでは、侍と武士の違いについて考えます。

侍(さむらい)

侍は、Wikipediaによれば古代から中世にかけての日本における官人の身分(朝廷の実務を担当する身分)呼称とあります。伺候(祗候)する者、つまり謹んで貴人のそば近く仕える者を意味しました。

奈良時代に「さもらふ」という語で登場します。動詞「もる(守・窺)」に助動詞「ふ」が接続して動詞「もらふ(候)」になり、さらに接頭辞「さ」がついて「さもらふ」となったといいます。貴人の傍らに控え、様子を窺いつつ命令が下るのを待つ者をいいました。
平安時代には「さもらふ」から「さむらふ」「さぶらふ」と母音・子音の変化が起こり、連用形から名詞「さぶらひ」にかわり、鎌倉時代から室町時代にかけては「さぶらい」と発音されていました。16世紀になって「さむらい」という語が新しく登場しました。「貴人・貴族の側近くにお仕えして面倒をみる者」という意味であり、朝廷に仕える官人でありながら同時に上級貴族に伺候する中下級の官人のことを「侍(さぶらひ)」といいました。現代風にいえば、秘書や執事、あるいはボディガードです。武士とは全く違った意味を持っていたことが分かります。
17世紀に刊行された『日葡辞書』では、Bushi(ぶし)・Mononofu(もののふ)は、「武人」「軍人」を意味するポルトガル語の訳語が与えられているのに対して、Saburai(さぶらい)は、「貴人、または尊敬すべき人」と訳されていました。

地位に関係なく武士と混同されるようになったのは江戸時代近くからです。

ちなみに、朝廷に仕える官人は、武官・文官・京官・外官・職事・散位・勅任・奏任・判任・判補・男官・女官などに分類できます。本来の侍の意味に最も近いのは、雑任(ぞうにん)という官人と思われます。

さらに、地侍という言葉があり、それは朝廷に仕える官人である侍とは異なり、百姓身分でありながら武士の支配する所領の名主層から軍役を通じて主従関係を持つようになった者たちを地侍といいました。

武士(もののふ)

武士は、Wikipediaによれば、10世紀から19世紀にかけての日本に存在し「戦闘を本分とするとされた宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員」とされています。

武士は、一般に「武芸に通じ、戦闘を職業とする軍人、あるいは兵法家のこと」とされていますが、これだけでは平安時代以前の律令体制下の「武官」との違いがはっきりしません。
例えば、武人として名高い征夷大将軍の坂上田村麻呂は、優れた武官ですが武士であるとはいえません。また、中国や朝鮮には「武人」は存在しましたが、日本の「武士」に似た者は存在しませんでした。時代的に言えば「武士」と呼べる存在は国風文化の成立期にあたる平安時代中期(10世紀)に登場します。つまり、それ平安時代以前の武に従事した者は、武官ではあっても武士ではありません。

武官は「官人として武装しており、律令官制のなかで訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された『下級貴族』『下級官人』『有力者の家人』からなる人々」であって、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではありませんでした。また、単に私的に武装する者は武士と認識されませんでした。

武士の起源については、清和源氏や桓武平氏のような貴族層、下級官人層が、平安時代後期の荘園公領制成立期から、荘園領主や国衙と結びついて所領経営者として発展し、武士団として組織化されていきました。

蝦夷の戦術に改良を施して、大鎧と毛抜形太刀を身につけ長弓を操るエリート騎馬戦士として活躍し、最初の武芸の家としての公認を受けました。
藤原秀郷平高望源経基らがその第一世代の武士と考えられ、彼らは在地において従来の富豪百姓層と同様に大規模な公田請作を国衙と契約することで武人としての経済基盤を与えられました。しかし、勲功への処遇の不満や、国衙側が彼らの新興の武人としての誇りを踏みにじるような徴税収奪に走ったり、彼らが武人としての自負から地域紛争に介入したときの対応を誤ったりしたことをきっかけに起きたのが、藤原純友の反乱や平高望の孫平将門の反乱、承平天慶の乱でした。

この反乱は朝廷の勲功認定を目的に全国から集結した武士たちによって鎮圧され、武芸の家すなわち、武士として公認された家系は承平天慶勲功者の子孫ということになり、「武」が貴族の家としての「家業」となり、武家としての清和源氏や桓武平氏、藤原秀郷流もこのときに確定しました。

この時点では、まだ、武士の経済基盤は公田請作経営で所領経営者ではありませんでしたが、しだいに所領経営者としての武士が成立していきます。

17世紀初頭の日葡辞書に、「さむらい」は貴人を意味し、「ぶし」「もののふ」は軍人を意味すると区別して記載されています。朝廷に仕え実務を担当する官人が「侍」、その官人のかなでも訓練を受けて武装していたのが「武官」、武芸を家業として在地で武装を朝廷や国衙から公認された下級貴族や下級官人が「武士」ということになります。

言わば、国家から免許を受けた軍事下請企業家こそが「武士」の実像でした。そして、朝廷や国衙は必要に応じて武士の家に属する者を召集して紛争の収拾などにあたったのです。

同義語として「武者(むさ)」がありますが、「武士」に比べて戦闘員的もしくは修飾的ニュアンスが強いといわれています。用例としては、武者絵、武者修業、武者震い、鎧武者、女武者、若武者、落武者などです。すべての武者が武士です。
ほかに類義語として、「兵(つわもの)」「武人(ぶじん)」などもありますが、これらは同義ではありません。


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