武士列伝-まちゃこ(北條政子)
いざ鎌倉プロジェクトのメインキャラクターである「まちゃこ(北條政子)」。
彼女がどういう人物だったか、紹介いたします。
北條政子の略伝
北條政子は、夫源頼朝亡き後に鎌倉幕府を主導したことは評価されつつも、子どもたち(源頼家・源実朝)が変死して婚家である源氏は滅び、実家である北條氏がこれにとって代って政治を主導(執権政治)したことが、婦人としての人倫に欠くと批判されてもいます。
北條政子の嫉妬深さも批判の対象となり、日野富子や淀殿と並ぶ三大悪女とする評価も出るようになりました。
そんな北條政子ですが、実際にはどのような人物だったのでしょうか。
保元2年(1157年) | 0歳 | ■伊豆国の豪族北條時政(19)の長女として生まれる。 | |
平治元年(1160年) | 3歳 | ■源頼朝(13)と出会う。 | ■平治の乱で敗れた源頼朝(13)が伊豆国に流され、北條時政(22)が監視役となる。 |
治承元年(1177年) | 20歳 | ■山木氏の邸を脱し大雨の夜に源頼朝(30)のもとへ走る(駆け落ち)。 | ■父北條時政(39)は源頼朝(30)と北條政子の関係を知り、伊豆目代山木兼隆(22)と婚姻させようとする(北條政子を山木氏の邸に監禁する)。 |
治承2年(1178年) | 21歳 | ■源頼朝(31)との間に長女大姫を産む。 | ■北條時政(40)は2人の結婚を認め、源頼朝(31)の重要な後援者へとなっていく。 |
治承4年(1180年) | 23歳 | ■伊豆山にとどまり、夫源頼朝(33)の安否を心配する。 ■源頼朝(33)が鎌倉に入ると自身も移る。 ■御台所と呼ばれるようになる。 |
■源頼朝(33)が挙兵し、伊豆目代山木兼隆(25)の邸を襲撃。 源頼朝(33)は石橋山合戦で大庭景親の軍勢に敗北するが、三浦氏や千葉氏の援助を得て安房国で再挙。甲斐国の武田信義(52)と合流し平維盛(22)と戦い勝利する(富士川合戦)。 ■関東を制圧した源頼朝(33)は「鎌倉殿」と呼ばれる。 |
寿永元年(1182年) | 25歳 | ■源頼朝(35)との間に長男源頼家(万寿)を産む。 ■夫源頼朝(35)が亀前を寵愛したことに嫉妬し、牧宗親に命じて亀前を匿っていた伏見広綱の邸を破壊させる。 ■怒りおさまらず、伏見広綱を遠江国へ流罪にさせる。 |
■源頼朝(35)が牧宗親の髻を切り落としたことで北條時政(44)が激怒し北條一族が伊豆国へ引き上げる騒ぎとなる。 ■源義平の未亡人である祥寿(38)(新田義重(68)の娘)を源頼朝(35)の妻に迎える話もあったが北條政子の怒りを恐れた新田義重(68)が他に嫁がせ実現しなかった。 |
寿永2年(1183年) | 26歳 | ■対立していた源義仲(木曽義仲)(29)との和議の意味も兼ね、長女大姫(5)と人質として送られてきた源義仲(29)の長男源義高(10)が婚姻。 | |
寿永3年(1184年) | 27歳 | ■大姫(6)が海野幸氏を身代わりに見立て、源義高(11)を脱出させる。 ■掘親家の家臣藤内光澄が源義高(11)を入間河原で討ちとる。 |
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文治2年(1186年) | 29歳 | ■源頼朝(39)との間に次女乙姫(三幡)を産む。 ■源義経(27)を慕う静御前(21)の舞に源頼朝(39)が激怒するが、怒りを鎮める。 ■静御前(21)とともに大姫(8)の慰めのため南御堂に参詣。 ■静御前(21)が身ごもった男子の助命を夫源頼朝(39)に願う。 ■大姫(8)とともに子を失った静御前(21)を憐れみ、京都へ帰る静御前(21)と母(磯禅師)に多くの重宝を与える。 |
■源頼朝(39)の命令により静御前(21)の子は由比ヶ浜に遺棄される。 ■大進局(念西の娘)が源頼朝(39)との間に源貞暁(次男)を産むが北條政子の嫉妬を恐れて出産の儀式せず身を隠す。 |
文治5年(1189年) | 32歳 | ■鶴岡八幡宮にお百度参りで夫源頼朝(42)の戦勝祈願をする。 | ■源義経(30)が藤原泰衡(34)に攻められ自害。 ■源頼朝(42)が奥州征伐に出陣。 |
建久3年(1192年) | 35歳 | ■源頼朝(45)との間に三男源実朝(千幡)を産む。 | ■源貞暁(7歳)が出家のため京都の仁和寺に送られるが、出発の日に源頼朝(45)が密かに会う。 |
建久4年(1193年) | 36歳 | ■富士の巻狩りで源頼家(11)が鹿を射たこと(鹿狩りは神によって源頼家が後継者と認められたこと)を喜び夫源頼朝(46)が使者を送ってきたが「武家の跡取が鹿を獲ったぐらいで騒ぐことはない」と使者を追い返す。 ■鎌倉で源頼朝(46)が殺されたという流言があり心配していたところ、源範頼(43)に「源氏にはわたしがおりますのでご安心ください」と慰められる。 |
■富士の巻狩りで曾我祐成・曾我時致兄弟が父親の仇討ちとして工藤祐経を討つ(曾我兄弟の仇討ち)。 ■鎌倉に帰った源頼朝(46)は北條政子から源範頼(43)の言葉を聴いて激怒し、源範頼(43)を伊豆国へ幽閉し殺害。 |
建久5年(1194年) | 37歳 | ■大姫(16)に一條高能(18)との縁談を勧める。 ■源義高の追善供養を盛大に催す。 |
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建久8年(1197年) | 40歳 | ■大姫(19)死去。 | |
建久9年(1198年) | 41歳 | ■比企能員の娘若狭局が源頼家(16)との間に長男源一幡を産む。 | |
建久10年(1199年) | 42歳 | ■乙姫(三幡)危篤により、諸社諸寺に祈願誦経をさせる。 ■大姫につづき夫源頼朝を亡くし、自身も最期と思いながらも源頼家(17)を残して死ねない(見捨てられない)と生きることを決意。 ■出家して尼になり尼御台と呼ばれるようになる。 |
■源頼朝(52)が落馬により急死。 ■源頼家(17)が家督を継承する。 ■乙姫(三幡)(13)死去。 |
正治2年(1200年) | 43歳 | 源頼家(17)が出兵したため、調停のため安達景盛の邸に入り使者を送って「景盛を討つならば、まずわたしに矢を射ろ」と強く諌める。 安達景盛を宥めて謀叛の意思のない起請文を書かせ、一方で源頼家を重ねて訓戒して騒ぎを収める。 |
■源頼家の専制政治を抑制するために大江広元・梶原景時・比企能員・北條時政・北條義時・三善康信・中原親能・二階堂行政・足立遠元・安達盛長・八田知家・三浦義澄・和田義盛ら老臣による13人の合議制が定められる。 ■源頼家(17)が安達景盛の愛妾を奪う不祥事が起き、安達景盛が怨んでいると知らされた源頼家が出兵。 ■梶原景時が「梶原景時の変」により失脚(北條氏による有力御家人排除の嚆矢)。 ■源頼家(17)の次男源公暁が産まれる。 |
建仁3年(1203年) | 46歳 | ■源頼家(20)の北條氏討伐を盗み聴きし、北條時政(65)に使者を送る。 ■源頼家を出家させ、伊豆国の修善寺に幽閉する。 ■源頼家(20)の子どもたちを仏門に入れる。 |
■源頼家(20)が危篤に陥り、北條政子と北條時政(65)が源一幡(5)と源実朝(11)で日本を治めさせることを決めると、不満に思う比企能員と源頼家が北條氏討伐を画策。 北條氏討伐を知った北條時政(65)は比企能員を謀殺し、北條政子の名で兵を起こして比企氏を滅ぼす。源一幡(5)も北條時政により殺害される(比企能員の変)。 ■源頼家(20)は北條政子の命で出家させられて将軍職を奪われ、伊豆国修善寺に幽閉される。 |
元久元年(2004年) | 47歳 | ■源頼家(21)が殺害される。 | |
元久2年(1205年) | 48歳 | ■北條義時は北條時政の陰謀を阻止し、北條時政を出家させて伊豆国へ追放。 | ■北條時政(67)と妻牧方は源実朝(13)を廃して娘婿平賀朝雅(42)を将軍に擁立しようと画策。阻止した北條義時が執権となる。 |
建保6年(1218年) | 61歳 | ■病がちな源実朝(26)の平癒を願って熊野を参詣。 ■上洛し京都に滞在して後鳥羽上皇の乳母藤原兼子と会談(子がない源実朝の後継者(将軍)として後鳥羽上皇の皇子を東下させることを相談)。藤原兼子の斡旋によって従二位に叙される。 |
■源実朝(26)の官位は右大臣に昇進。 ■北條義時や大江広元は源実朝が朝廷にとり込まれて御家人たちから遊離することを恐れ諫言。 |
建保7年(1219年) | 62歳 | ■源実朝(27)の死に深く嘆き「子どもたちのなかでただ1人残った大臣殿(源実朝)を失いこれでもう終わりだと思いました。尼1人が憂いの多いこの世に生きねばならないのか。淵瀬に身を投げようとさえ思い立ちました」と述懐する。 ■使者を京都へ送り、後鳥羽上皇の皇子を将軍に迎えることを願う。 |
■右大臣拝賀の式のために鶴岡八幡宮に入った源実朝(27)は甥源公暁(19)に暗殺される。 ■北条義時は皇族将軍を諦めて摂関家から三寅(藤原頼経)(1)を迎えることにし、北條時房が三寅(藤原頼経)(1)を連れて鎌倉へ帰還。 ■三寅(藤原頼経)の後見として将軍の代行をすることになり、「尼将軍」と呼ばれるようになる。 |
承久3年(1221年) | 64歳 | ■御家人たちを前に「最期の詞(ことば)」として「故右大将(源頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、逆臣の讒言により不義の宣旨が下された。秀康、胤義(上皇の近臣)を討って、三代将軍(源実朝)の遺跡を全うせよ。ただし、院に参じたい者は直ちに申し出て参じるがよい」と声明。御家人たちの動揺を収めた(安達景盛が演説文を代読)。 | ■承久の乱が起こる。 ■後鳥羽上皇軍は19万の幕府軍の前に各地で敗退。幕府軍は京都を占領。後鳥羽上皇は北條義時追討の宣旨をとり下げて事実上降伏。隠岐島へ流される。 |
貞応3年(1224年) | 67歳 | ■北條義村の邸を訪ねて北條泰時が後継者となるべき理を説き、北條義村を平伏させ北條泰時への忠誠を誓わせ、騒然としていた鎌倉を鎮める。 ■伊賀方を伊豆国へ追放。 |
■北條義時が急死する。 ■伊賀の変が起こる。 |
嘉禄元年(1225年) | 68歳 | ■病の床につき死去。 |
まちゃこのひととなり
まちゃこは、10歳年上の罪人(源頼朝)に惚れ込み、実家を裏切ってまで駆け落ちするほどの情熱家。
そして、嫉妬深さで誰からも恐れられるほどの熱愛家。
自身の実家(北條氏)によって子どもたち(源頼家・源実朝)を死なせ、源氏政権を滅ぼした悪女と評されながらも、その素顔は鎌倉中の諸社諸寺に祈願誦経させるほど娘大姫を愛し、静御前やその子どもの助命を願うなど優しさを備えた愛にあふれた女性。
騒然とする鎌倉を1つにまとめあげ、19万の大軍で京都を攻めさせたほど指揮能力に優れた、心のよりどころともいうべき偉大な指導者。
鎌倉の象徴といっていい女性、そんな思いから、いざ鎌倉プロジェクトではメインキャラクターに選んでいます。
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