いざ鎌倉プロジェクト-鎌倉もののふ文化

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鎌倉もののふ文化ページです。武家の伝統文化や風習を紹介いたします。

正月
1月は正月

正月は仏教伝来の6世紀半ば以前に存在していた風習で、本来は「先祖をお祀りする行事」でしたが、仏教行事の盂蘭盆会(うらぼんえ)が先祖供養の行事となったため、正月は歳神(としがみ)さまを迎えてその年の豊作を祈る「神祭り」としてはっきり区別されるようになりました。現在では旧年が無事に終わったことと新年を祝う行事となっています。
本来、正月は1月を意味するため1月1日~31日までのことですが、1月3日までを「三が日」、1月7日までを「松の内(松七日)」、1月20日までを「二十日正月(骨正月)」ということもあり、一般的には「三が日」か「松の内」までを正月とされています(1月1日の元日が国民の祝日)。

歳神を歓迎するために門松・しめ飾り・鏡餅などを飾りました。武家では、床の間に甲冑(鎧兜)を飾り、その前に鏡餅を供えました。鏡餅には、譲葉・熨斗鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは鎧餅・具足餅・武家餅などと呼ばれました。

初詣・年籠(としごもり)
1月1日は初詣

かつては「年籠(としごもり)」といい、家長が祈願のために大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣がありました。これは仏教説話集『後拾遺往生伝』にあり平安時代にはすでにあったことが分かっています。

やがて年籠は、大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」の2つに別れました。「元日詣」が現在の初詣の原形です。

氏神に参詣する以外に、居住地からみて恵方にあたる社寺に参詣する「恵方参り」や「三社参り」「二年参り」「初縁日(初卯・初巳・初大師など)詣」などいくつかの風習がありました。

書初(かきぞめ)
1月2日は書初(かきぞめ)

若水で墨を摺り、恵方に向かって詩歌を書く習慣がありました。
書く詩歌は「長生殿裏春秋富 不老門前日月遅」という漢詩がよく用いられました。もともとは宮中で行われていた儀式でしたが、平安時代から鎌倉時代にかけて臣籍降下などで侍が地方へ下向し武士になっていく過程で各地に伝わり、江戸時代以降に庶民に広まっていきました。

書初で書いたものは1月15日の小正月に左義長で燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われています。

鷽替(うそかえ)
1月は鷽替(うそかえ)

鷽替(うそかえ)とは、主に菅原道真を祭神とする神社(天満宮)において行われる神事です。鷽(うそ)が嘘(うそ)に通じることから、前年にあった災厄・凶事などを嘘とし、本年は吉となることを祈念して行われます。

怨霊として恐れられてきた天神信仰(雷神信仰)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけては慈悲の神・正直の神・冤罪を晴らす神・和歌連歌など芸能の神・現世の長寿と来世の極楽往生に導く神などとして信仰されるようになっていきました(『天神縁起』)。
また、貿易商から海難除けの神として崇められたり、皇族や幕府や武士たちには怨敵調伏・戦勝祈願・王城鎮護の神として信仰されました。

人日の節句(七草の節句)
1月7日は人日の節句(七草の節句)

五節句の1つで、無病息災を祈願して七種の粥を食べることから七草の節句ともいわれています。
これは平安時代からの武家の風習でした。

1月7日を「七日正月」といい、朝食に七種類の野菜を入れたお粥や雑炊を食べる風習です。1月6日の昼間に野山で摘み(若菜迎え)、夜にかけて大きな音を立てて「菜をたたく」ことで農作物を食い荒らす鳥を追い払う「鳥追い」の行事にもつながり、1月6日の夜から1月7日の朝にかけて「六日年越(六日年取)」をへて、元日からつづいてきた正月行事の終わる日(「松の内」の最終日でこの日に正月の松飾りをはずすところもあります)として祝われてきました。7歳になるこどもが1月7日に近所の七軒の家からお粥をもらい集めて食べる「七所祝い」「七雑炊」といった風習もあります。

旧暦1月7日は、新暦1月28日~2月25日ころとなります。2015年2月25日、2016年2月14日となります。

主な食べものは、七草粥(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)です。

十日戎
1月10日は十日戎

十日戎(とおかえびす)とは、えびす講(えびすこう)ともいわれ、留守神である「えびす神」ないし「かまど神」を祀り、1年の無事を感謝し、五穀豊穣や大漁あるいは商売繁盛を祈願します。
鎌倉では1月1日~3日に初えびす、1月10日に本えびす(十日えびす)として本覚寺で行われています。

10月20日ないし11月20日に催される祭礼ですが、10月20日と1月20日の2回開催されたり、1月10日や1月15日に開催されることもあります。

鎧開き・鏡開き
1月11日は鏡開き

正月に鎧や兜を飾って、その前に鎧餅(戦国時代以降は具足餅)をそなえました。
1月11日にそなえられたものをいただいて無病息災などを祈って、汁粉・雑煮などで食べます(もともとは「二十日正月(骨正月)」が終わる1月20日でした)。
女性の場合は鏡台に餅をそなえたことから鏡餅といい、現在では鎧餅(具足餅)より鏡餅という方が一般的です。

鎧餅をいただく男性は「刃柄(はつか)」を祝うといい、鏡餅をいただく女性は「初顔(はつか)」を祝うといい、二十日(はつか)にかける縁語として1月20日に行われ、武家社会の風習が一般化したものです。しかしながら4月20日に亡くなった徳川家光の忌日として避けられ、江戸時代以降は1月11日となっています。

鏡開きについては、刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」や「割る」という言葉は避けて「開く」という言葉を使用しています。
鏡は円満を、開くは末広がりを意味し、鏡餅を食すことを「歯固め」といい、硬いものを食べて歯を丈夫にして、年神さまに長寿を祈るためといわれています。

旧暦1月11日は、新暦2月1日~3月1日ころとなります。2015年3月1日、2016年2月18日となります。

主な食べものは、お雑煮・お汁粉です。

元服の儀
1月15日は小正月(元服の儀)・左義長

国民の祝日の1つ成人の日は、現在は1月の第2月曜日に行うことになっていますが、かつては1月15日の小正月に行う儀式でした。

1月7日人日の節句(七草の節句)、1月11日鎧開き・鏡開きにつづき、これまた武家の風習で、奈良時代からの伝統文化です。

数え歳12~16歳(現在の11~15歳)に、氏神の社前で大人の服に改め、髪型も大人の髪を結い、武家は烏帽子親(加冠)が烏帽子をつける儀式です。

現在は20歳を成人の日としていますが、かつては11歳になると大人の仲間入り。男子だけではなく、女子にも「裳着」という成人の儀式がありました。儀式には「烏帽子親(加冠)」「理髪」「打乱」「泔坏」など周りで補助する大人がつきます。

幼名を廃して元服名(諱)を新たにつけます。烏帽子親の偏諱を受けることもありました。

ちなみに、「元服の儀」と「鎧着初」は時期が重なることが多いですが、全く別の儀式です。「鎧着初」は武士身分を継ぐことを周囲に示す役割であり、数え歳13歳(現在の12歳)ころに行われました。
武田晴信は、12歳で元服し、14歳で鎧着初を行っています。

1月15日の小正月は望の日でもあり、晴れの日として、邪気を払い1年の健康を願って望粥(小豆粥)を食べる風習があります。
餅花(もちばな)というヌルデ・エノキ・ヤナギなどの木に小さく切った餅や団子をさして飾ったり、米の粉をカイコの繭(まゆ)のかたちにして木にさす繭玉(まゆだま)飾りなど、1年の五穀豊穣を祈願する粟穂稗穂(あわぼひえぼ)という風習もあります。

旧暦1月15日は、新暦2月14日~3月5日ころとなります。2015年3月5日、2016年2月22日となります。

主な食べものは、小豆粥(望粥)です。

小正月には左義長という鎌倉時代からの行事もあり、縁起物を祭で焼くことによりそれを天にかえすという意味をもちます。その年に飾った門松や注連飾り、また書初で書いたものを持ち寄って焼きます。その火で焼いた餅(三色団子の場合も)を食べます。書初を焼いたときに炎が高く上がると字が上達すると言われています。道祖神の祭りとされる地域も多いです。

仏の正月
1月16日~18日ころは仏の正月

正月の三が日を避けて墓参りをしたり、仏壇に雑煮を供えたりします。1月16日や18日ごろに行う地方が多いです。

節分
2月3日は節分

節分は雑節の1つです。季節のはじまりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、節分は立春の前日をさします。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊ばらい行事で、宮中での年中行事として執り行われました。追儺(ついな)という平安時代初期ころからの鬼払いの儀式が現在の節分のルーツとされています。

一般的には「福は内、鬼は外」と声を出しながら福豆(炒り大豆)を撒いて年齢の数もしくは1つ多く豆を食べて、厄除けを行います。邪気除けの柊鰯(ひいらぎいわし)などを飾ります。

新暦では2月3日前後で日付は変わり、旧暦では12月15日~1月15日ころの間で日付が変わります。新暦2015年2月3日(旧暦2014年12月5日)、新暦2016年2月3日(旧暦2015年12月25日)です。

主な食べものは、豆・節分蕎麦(年越蕎麦)・恵方巻きなどです。

初午(はつうま)
2月の最初の午の日は初午

1月の牛の日も初午ではありますが、稲荷社の祭の日である2月の初午をいいます。初午祭に初午詣(福詣)を行う参詣者が訪れ、雑節の1つとすることがあります。
2014年は2月4日、2015年は2月11日、2016年は2月6日です。節分以前を除き、立春以後の最初の午の日とされます。月遅れでは2014年3月12日・2015年3月7日・2016年3月1日です。

主な食べものは、初午いなり(稲荷寿司)・しもつかれなどです。
こどもたちが近所の家を訪ねめぐり飴をもらうハロウィンに似た「旗飴(はたあめ)」という習慣が残る地域もあります。

針供養
2月8日は針供養

中国に「社日(土地神の祭日)に針線(針仕事)を止む」という古い慣わしがあったとされ、日本に伝わったことが起源とされています。
平安時代に清和天皇によって針供養の堂が法輪寺に建立されたとされていることから9世紀後半には日本に針供養の風習があったとされています。

2月8日もしくは12月8日に行われます。現在では家庭で針仕事を行うことが少なくなり、家事作業における感謝や祈願の意で行われることは少なくなりましたが、服飾に関わる分野においてはいまだ根づいており、和裁や洋裁の教育機関や企業では現在も行われています。

涅槃会(ねはんえ)
2月15日は涅槃会

陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修されます。釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要です。
現在では、3月15日に行なわれているところもあります。

平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の1つとして記されています。

上巳(じょうみ)
3月3日は上巳の節句

上巳の節句は、上旬の巳の日のことで、桃の花が咲く季節であることから桃の節句とも呼ばれています。起源は平安時代より古く、京都の貴族階級の子女が天皇の御所を模した御殿や飾りつけで遊んで健康と厄除を願った(雛あそび)ことにはじまり武家社会に広まりました。平安時代から、雛人形に穢れを移し川や海に流して災厄を祓う祭礼「流し雛」の風習があり、現在でも残っている地域があります。上巳の節句は穢れ祓いとして、雛人形は災厄除けの守り雛として祀られるようになり、江戸時代ころから雛祭りを行うようになりました。
親王(男雛・女雛)・三人官女・随臣(右大臣・左大臣)・仕丁など雛人形の格好は、平安装束です。五人囃子が烏帽子に刀を携えているあたり、非常に興味深く、いわゆる「侍(候)」です。侍というのは、本来の意味は朝廷に仕え世話をする官人たちのことでした。なかには武官もおり、それが平安時代末期に在地で武士となっていくわけです。

端午の節句同様に、男女の区別なく行われていました。

新暦では3月3日(月遅れ4月3日)です。
旧暦3月3日は新暦の3月24日~4月22日ころにあたり、新暦では2015年は4月21日、2016年は4月9日になります。

主な食べものは、菱餅・ひなあられ・白酒・はまぐり・ちらし寿司・草餅などです。

春分(春の彼岸)
3月20日ころは春分

新暦では3月20日・3月21日ころ(旧暦では2月1日~2月30日の間)で日付が変わります。新暦2015年3月21日(旧暦2015年2月2日)・新暦2016年3月20日(旧暦2016年2月12日)です。

春分の日をはさんで前後7日間が春の彼岸です。彼岸(ひがん)は雑節の1つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた計7日間を2回(1年で計14日間)となります。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼びます。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え、その向こう岸(彼岸)にある涅槃(ねはん)が得られるという意味です。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け(はしりくち)」と呼びます。
中日(春分の日と秋分の日)に先祖に感謝し、残る6日は悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされています。

主な食べものは、ぼたもち(牡丹餅)です。

潅仏会(かんぶつえ)
4月8日は潅仏会

釈迦の誕生を祝う仏教行事で、花祭りともいわれています。
鎌倉では極楽寺にて本堂の開廟とあわせて、裏山にある忍性の石塔(墓)が公開されます。

山の神を祀る祭礼(山開き)が行われてきました。これら祖先神で農事神でもある山の神を祀るときに花が一種の依代として用いられることから、花で神や祖先を祀る民間習俗に仏教行事の灌仏会が習合して「花まつり」になったとされています。

新暦4月8日(月遅れ5月8日)に行われています。旧暦4月8日は新暦4月29日ころ~5月28日ころで、2015年では5月25日、2016年では5月14日です。

主な食べものは甘茶です。

十三参り
4月13日は十三参り

江戸時代にはじまった風習とされています。数え歳で13歳になったこどもが両親に連れられて虚空蔵菩薩に参拝して智恵を授けてもらう行事を十三参りといい、「智恵もらい」「智恵詣」ともいわれています。

虚空菩薩が13番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩で、弘法大師(空海)が洞窟に籠って虚空蔵求聞持法を修したことによって飛躍的に記憶力が増したといわれていることにちなみ、13歳で行うとされています。
また、13歳という年齢は、干支が1周して自身の生まれ干支に戻る年でもあることから、無事に大きくなったことへの感謝と、これからの健やかな成長を祈願してお参りするとされています。

虚空蔵菩薩の13にちなみ旧暦3月13日(新暦4月13日)にお参りすることが一般的でしたが、小学校を卒業して中学校に入学する時期にも近いため、節目の祝いとして中学校入学前の春休みや3月13日~5月13日の間に参拝することが多くなってきています。

端午の節句
5月5日は端午の節句

端午は五節句の1つです。菖蒲の節句ともいわれます。こどもの健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習があります。
端午はもともとは月のはじめ(端)の午の日のことで、女性が田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式である五月忌み(さつきいみ)という風習と中国から伝わった端午とが結びつきました。すなわち、端午はもともとは女性の節句でした。5月4日の夜から5月5日にかけて「女天下」と称して女性が家全体をとり仕切る日とする慣習が残る地域があり、5月5日を「女の家」と称する風習が残っています。

鎌倉時代ころから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることや、菖蒲の葉のかたちが剣を連想させることなどから、端午は男子の節句とされ、男子の成長を祝い健康を祈るようになりました。鎧・兜・刀・武者人形・金太郎・武蔵坊弁慶などを模した五月人形を室内の飾り段に飾り、庭前にこいのぼりを立てるのが典型的な祝い方でした。
鎧兜には男子の身体を守るという願いが込められ、こいのぼりを立てる風習は男子の立身出世を祈願しています。

新暦5月5日(月遅れ6月5日)です。旧暦5月5日は新暦では5月27日~6月25日ころにあたり、2015年では6月20日、2016年では6月9日です。

主な食べものは柏餅・ちまき・菖蒲酒などです。


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