鎌倉もののふ風土記-鎌倉の商工業

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商業

鎌倉時代中期に書かれた『海道記』には、「東南の角一道は港に通じており、商人が多くにぎわっている」という記述があります。
鎌倉には古くから商業地域があったことが分かります。
鎌倉時代中期は海上交通が盛んになって、和賀江嶋が港として整備され、国の内外を問わず船が入ってきていました。
それに関連して商業も発展したといえるでしょう。
港へとつづく道沿いは活況を呈していたようです。
鎌倉幕府は、特別の商業地域以外に商店をつくれないようにしたり、商人の数を定めたり、商人に対して様々なとり締まりを加えました。
室町時代には、鎌倉には紺屋(染めもの屋)・紙屋・銀細工屋がいたという文書が残っています。
絹・炭・米・檜物・千朶積・相物・馬商や材木・塩・銅・油・傘・桶結・素麺などの座がありました。
また、銀細工・刀剣などの多くの職人がいました。
仏師・刀鍛治などの工芸は代々受け継がれ、特に鎌倉彫は茶道の普及とともに「鎌倉物」として有名になりました。
昭和54年(1979年)には国の伝統工芸としての指定を受け、刀剣とともにいまも鎌倉を代表する工芸品です。
明治22年(1889年)に横須賀線が開通して、急速に商業は発展しました。
特に避暑客や海水浴客でにぎわい、第二次大戦後は新しい住宅地ができると商店街ができ、駅周辺は大型店が進出して商業はどんどん盛んになりました。
現在、鎌倉市商店街連合会には、30の商店会が加わっています。
各商店街は、地域にあった催しものに取り組んだり特売日を設けたり、その地域ならではのサービスを心がけて、商店街の発展に努めています。
小売業・卸業・飲食業に分けると、小売業が全体の3分の2を占めています。
商品は服装など身のまわりの生活品と食料品が多いです。
また年間1900万人を超える観光客を迎えるため、駅や寺社の近くに、飲食店や土産物店が多く見られます。
近年、鎌倉産の素材を駆使したオリジナル商品を創作したり、鎌倉独自のブランドを育てるために様々な試みが行われています。

工業

古くからの家内工業と大船地区・深沢地区の新しい工業に分けることができます。
昭和初めごろまで鎌倉には鎌倉彫・貝細工・正宗工芸など家内工業と、鎌倉ハムの工場があるだけで、大きな工場はありませんでした。
鎌倉に大企業が進出してきたのは昭和11年(1936年)に松竹撮影所の大船移転が最初です。
それまでの蒲田の撮影所が手狭になったので、交通の便もよく、空気のよい大船に移ってきたのです。
これを契機に大船地区には大手企業や下請けの中小企業の工場がつくられ、鎌倉は活性化しました。
やがて戦争になり軍需工場が建てられました。
戦後は、鎌倉市が昭和28年(1953年)に工場誘致条例を設けたことで大船地区・深沢地区に工場が増えました。
条例は8年後には廃止されますが、大船は東海道線沿線で、東京など各地の大都市への輸送の便がよかったことから、三菱電機や東洋化学・ナスステンレス・資生堂など電機工業・機械工業・化学工業などの工場がつくられました。
鎌倉市内の事務所の数は、昭和50年(1975年)をピークに減りつつあります。
生産額は年々上昇していましたが、平成2年(1990年)からはわずかずつ減少傾向にあります。

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