いざ鎌倉プロジェクト-鎌倉もののふの舞

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いざ鎌倉プロジェクトでは、鎌倉もののふ隊による鎌倉もののふの舞をイベントやお祭りなどで舞っています。
これまで、
平成26年(2014年)8月3日(日)_御成ぼんぼりまつり
平成26年(2014年)9月15日(日)_鎌倉祇園祭
平成26年(2014年)12月14日(日)_餅つき大会@大船観音寺(師走観音)
平成27年(2015年)5月3日(日)_路地フェスタ(「石橋山の戦い」再演)
平成27年(2015年)5月10日(日)_大船まつり
平成27年(2015年)8月1日(日)_御成ぼんぼりまつり
と、過去6回、鎌倉遺産、台お囃子会、辻堂新町お囃子会、辻堂仲町町内会などとのタイアップによって実現してきました。

地域のお祭りやイベントなどで鎌倉もののふの舞をご希望の方はぜひご連絡ください。
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8月1日(日) 鎌倉もののふの舞・もののふ囃子

御成ぼんぼりまつりに出陣。
特設ステージにて、
辻堂仲町町内会の囃子隊とのタイアップで鎌倉もののふ隊による『もののふの舞』を舞いました。


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5月10日(日) 鎌倉もののふの舞・もののふ囃子

大船まつりに出陣。
湘南こども祭はやしフェスタと大船まつりイトーヨーカドー前ステージにて、
鎌倉遺産、新町・仲町囃子連合とのタイアップで鎌倉もののふ隊による『もののふの舞』を舞いました。




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12月14日(日) 鎌倉もののふの舞・もののふ囃子

餅つき大会(師走観音)@大船観音寺に出陣。
鎌倉遺産、新町・仲町囃子連合とのタイアップで鎌倉もののふ隊による『もののふの舞』を舞いました。


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9月15日(月) 鎌倉もののふの舞

鎌倉遺産主催の鎌倉祇園祭に参加させていただき、第1部で鎌倉もののふ隊による『もののふの舞』を舞いました。
さらに、第2部では鎌倉で活躍している紅月劇団とのタイアップで演劇『椿説 石橋山合戦』にも出演しました。



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かつて古代大和朝廷の律令軍制では、戦は太鼓と笛の音を合図に行われていました。音楽が戦や宗教に用いられたのは日本だけではありません。

アジア大陸の諸国からもたらされた音楽や舞と日本の文化が融合してできた音楽を「雅正の楽舞」といいました。俗にいう雅楽です。多くは器楽曲で宮廷音楽として継承され、大規模な合奏形態で演奏される伝統音楽としては世界最古の様式とされています。
大宝元年(701年)の大宝令によってつくられた雅楽寮が所管した音楽や舞踊をルーツとし、宗教的かつ儀式的・貴族的(国家的)な音楽でした。
官人(侍)たちは武芸として太鼓や笛を訓練し、笛や太鼓をたしなみとしました。
朝廷に仕えていた官人(侍)たちが平安時代末期に臣籍降下などで地方に降り、在地に土着し武士となり、鎌倉時代では太鼓・笛・鉦などが武士のたしなみとして奏でられ、雅楽と対の「俗楽」として音楽や舞踊が庶民にも広がり、現代の祭囃子として受け継がれてきたわけです(朝廷(雅楽)→武士(俗楽)→庶民(祭囃子)という流れ)。
つまり囃子は神社などで伝わる「雅楽的囃子」としての流れと、それ以外の庶民に伝わる「俗楽的囃子」としての流れとに別れ、江戸時代以降の文化で一部の芸能でまた融合(芸能的囃子)していくわけです。

なぜ祭囃子は太鼓・笛・鉦がメインで、雅楽器が使われた様子がないのかという点も、俗楽であればこそ、合点がいきます。
「五人囃子」は「雅楽」であって「俗楽」ではなく、囃子でありながら「祭囃子」とは異なります。

かつて武士(もののふ)たちが奏で謡い舞った「俗楽」は、貴族社会の「雅楽」からどんな印象を抱かれていたのでしょうか。いまの社会にあるような偽物に対する排他的弾圧を受けたかどうかは分かりませんが、祭囃子としてしっかりとそれぞれの地域に受け継がれてきたのは間違いないと思います。残念なのは廃れてしまうところが多いことです。
武士(もののふ)たちが奏で謡い舞った「俗楽」という伝統文化を、私たち鎌倉もののふ隊は、私たちなりに再興していきたいと感じるのでした。

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