鎌倉もののふ風土記-鎌倉智士の空理空論

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生まれも育ちも鎌倉、そして本名も鎌倉。鎌倉智士が鎌倉について語る空理空論です。

平将門の祈願-鎌倉幕府をつくった一族たち-

なぜ鎌倉に幕府がつくられたのか?
諸論様様ですが、鎌倉一族である私(鎌倉智士)からすれば「平将門の祈願」だと思っています。

平将門という人物はどういった人物だったのか。

京都の朝廷(朱雀天皇)に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立(坂東王国)まさしく武家政権を標榜したことによって朝敵となり討伐されました(承平天慶の乱)。後に鎌倉幕府ができる240年近く前のことです。

合戦において所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りをもった最初の日本刀をつくらせたなど、「武士の発生」は平将門の乱からとする見方があります。

平将門は武芸に優れているばかりでなく、重い負担を強いられつづけ世に受け入れられなった東国の人人の代弁者としてつとめたことで、壮絶で悲劇的な死ともあいまって、一族たちの心にはその信念が刻まれていたことと思います。 Wikipedia「平将門」

さて、平将門には平良文(村岡良文)という味方がいました。平将門にとって平良文(村岡良文)は叔父にあたります。
承平天慶の乱では相模国鎌倉郡村岡に居て平将門側に与していた平良文は、兄平国香(平将門にとっては叔父)らが染谷川で平将門を襲撃したときに平将門を援護し、平将門平良文両軍は逆襲しました。

甥の平将門とともに東国の独立(坂東王国)を夢見ながらも果たせなかった平良文(村岡良文)の子孫には、千葉氏・上総氏・秩父氏・河越氏・江戸氏・渋谷氏のほか、三浦氏・梶原氏・長江氏・鎌倉氏・大庭氏・長尾氏などが出て、さらにこれらの氏族から多くの氏族が分かれて「良文流平氏(坂東平氏)」を形成しました。 Wikipedia「平良文」

平良文の本拠は相模国鎌倉郡村岡です。伊豆国に幽閉されていた源頼朝に与した(担ぎ上げた)土肥実平(中村党)も三浦義明(三浦党)も鎌倉党から分かれた鎌倉平氏です。
鎌倉幕府を創立し、有力な御家人になった者の多くが、この「良文流平氏」すなわち坂東平氏に属する者たちです。
鎌倉に幕府を創立するにあたって、千葉氏や上総氏が与したのは、本当に「先代源義朝への御恩に報いるため」だったのでしょうか?「いまこそ、われら坂東平氏(平良文)の念願を果たすときぞ!!」だったのではないでしょうか。
大庭景義が弟と離反しながらもいち早く与したことも、梶原景時畠山重忠らが与したことも、平良文平将門の血を継いでいるからこそなのではないでしょうか。

平将門の乱(承平天慶の乱)から240年のときをへて、坂東平氏たちは東国の独立(坂東王国)を果たしたのです。 Wikipedia「坂東平氏」

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源平池の逸話と間違った歴史認識

鎌倉は平家のくにということを知らない人がつくった逸話
鎌倉幕府は源頼朝がつくったから、鎌倉は源氏のくにだと思っている人が大勢います。ところがこれは全くの誤りです
前回、鎌倉幕府がなぜ鎌倉につくられたかという話でもしましたが、実質的に幕府をつくったのは坂東平氏であり、鎌倉幕府の御家人のなかから源氏を探すのはけっこう大変です。そんな誤った歴史認識がつくりだしたのが、鶴岡八幡宮の源平池の逸話です。

源平池の逸話はどういうものでしょうか。

鶴岡八幡宮の三の鳥居のところに源平池という池があり、かつては赤い太鼓橋(反り橋)がかかっていました。橋の左右にそれぞれ「源氏池」「平家池」という池が広がっています。

なぜ「源氏池」なら「平家池」ではなく「平氏池」にならなかったのか不思議です…。

源氏池には「白蓮」が咲き、平家池には「紅蓮」が咲いていましたが、現在は紅白混ざってしまい咲き乱れています。言わずもがなですが、白蓮は源氏の白旗、紅蓮は平氏の赤旗にちなんで植えられていたといわれています。

逸話はここからで、源氏池には3つの島があり、平家池には4つの島があります。これは源氏の発展を願う「3(産)」と、平氏の滅亡を願う「4(死)」をかけたものだというのです。
当初は、両方の池に4つずつの島があったようですが、北條政子の命令によって、源氏池の島を1つ壊したのだと伝えられています。

ですが、これは真っ赤な嘘です。

鶴岡八幡宮、そしてこの源平池を普請したのは大庭景義という平氏の一族で、命令した北條政子も平氏の一族なのです。

そして、何よりも、平氏の一族である北條氏によって源頼朝からはじまる源氏政権は親子の代で終わり、その後は執権として平氏の北條氏が幕府を実質的に動かしていきました。

鎌倉幕府を実際に創立した一族(平氏)、その後政権を実質的に動かしていった一族(平氏)たちが、自分たちの一族(平氏)の破滅を願うはずがありません。

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