武士列伝-大庭景義
大庭景義(おおばのかげよし)は平安時代の武士。桓武平氏の流れをくむ鎌倉平氏の一族。『尊卑分脈』『系図纂要』『桓武平氏諸流系図』などに鎌倉景政の子孫と記されています。
鎌倉景宗の長男で、母は横山隆兼の娘。大庭平太・懐島太郎・大庭景能とも書きます。
弟たちや妹婿の年齢から推定して保延4年(1138年)ころの生まれです。
保元の乱(1156年)で若くして源義朝に忠誠を誓い従軍。源為朝の矢を受け負傷し、歩行に支障をきたすようになりました。相模国大庭御厨のなかの懐島郷に隠棲し、家督は弟大庭景親に任せました。
治承4年(1180年)に源頼朝が挙兵すると弟大庭景親と袂を分かち源頼朝に麾下。敗戦した弟の大庭景親が囚われの身になると、源頼朝から「助命嘆願をするか」と打診されますが、これを断り、全てを源頼朝の裁断に任せたといわれています。
鎌倉幕府の長老格として重きをなしました。
建久4年(1193年)の8月に大庭景義は岡崎義実とともに出家したとされ、家督は嫡男大庭景兼が継いだとされています。『吾妻鏡』には老齢が理由と記されているものの、2年後の建久6年(1195年)には「頼朝公の旗揚げより大功ある身ながら疑いをかけられ鎌倉を追われ、愁鬱のまま3年を過ごして参りました」と書面を奉じ許されたという記録もあり、何らかの事件で失脚していた可能性もあります。
承元4年(1210年)4月9日(5月3日)に亡くなっています。享年は73歳。
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