鎌倉もののふ風土記-鎌倉の災害

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災害

鎌倉は幾度となく、地震による災害にみまわれてきました。
古文書や古い記憶を見ると、『吾妻鏡』の仁治2年(1241年)に「鎌倉津波、由比ヶ浜大鳥居内の拝殿流失す」とあり、また、正嘉元年(1257年)には「鎌倉大地震すべての寺社破壊。山崩れ、地割れを生じ水がわき出た」などとあり、当時の人々がたび重なる災害に怯えていたことが分かります。
中世の鎌倉で起こった天変地異を伝える記録のなかには、「腰越海岸の潮血のように染まる」「由比ヶ浜の潮赤く染まる」などの文章が残っています。
1200年代には、「鎌倉大地震」と呼ばれる大震災が10回ほどあったようです。
永仁元年(1293年)の地震では、「山は崩れ、地は裂け、津波をともない、政庁をはじめ若宮、鶴岡若宮、大慈寺、建長寺など倒壊し、建長寺炎上。殊に民家の被害がはなはだしく使者23,210余人に及んだ」と書かれています(『醍醐日記』『北條九代記』など)。

明応の鎌倉大地震

明応4年(1495年)の大地震と大津波は大仏殿堂舎屋を破壊し、溺死者200人という記録が残っています(明応7年(1498年)とする説もあります)。

明応の鎌倉大地震

元禄16年(1703年)、「関東大地震」が発生しました。
5回の揺れがありました。
鎌倉では民家や多くの寺社に被害がありました。津波も発生しました。
地震と津波による死者行方不明者600人ともいわれます。

関東大震災

大正12年(1923年)、相模湾を電源とするマグニチュード7.9の大地震が発生しました。
『鎌倉震災誌』などによると、神奈川県内では横浜と鎌倉が最も揺れが大きく、鎌倉では全戸数4,183戸のうちおよそ3,000戸が倒壊し、さらに火災と津波が襲い、死者412人と大きな被害を受けました。
海岸付近の波は5~6mも高くなり、相模湾の海底は地殻変動によって1~2mも隆起したといわれています。
津波は滑川を遡上し、延命寺付近まで達しています。
流失家屋は材木座と長谷でそれぞれ30戸、坂ノ下で53戸、腰越では漁船が全壊しました。
これまでの震災の記録をかえりみると、長い海岸線を有する鎌倉は、特に津波対策を整備するとともに二次災害の火災予防につとめなければなりません。
また、鎌倉の地形・地質の関係から考慮すると、崖崩れの防災も重要です。
地震災害時の緊急避難所として49施設が、風水害時の避難所として88ヶ所が、鎌倉市によってそれぞれ指定されています。
避難所が危険になった場合の広域避難場所は、鎌倉市内に17ヶ所定められています。
また、平成16年(2004年)の台風22号は、鎌倉市内各所に大きな爪痕を残しました。
被害は、床上浸水573ヶ所、床下浸水210ヶ所、崖崩れ364ヶ所などで、若宮大路の横須賀線ガード下や、大船駅東口・西口などが冠水・崖崩れによる死者1名を出しています。
台風災害として、近年にはない被害を受けました。
鎌倉市では河川の改修、急傾斜地崩壊危険区域の防災工事の促進や、地域住民が助けあう自主防災組織の育成などを行い、災害予防につとめています。

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