ときは、治承(じしょう)4年(1180年)8月9日、いまから800年以上も前のこと。鎌倉を拓(ひら)き、治(おさ)めてきた一族たちが大庭(おおばの)館(やかた)にて顔を合わせようとしていた。

大庭(おおばの)館(やかた)では、すでに鎌倉の一族たちが並び着座(ちゃくざ)している。部屋は板張(いたば)りの床。上座(かみざ)の中央には一族の棟梁(とうりょう)である大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)が床(とこ)の間(ま)を背に座り、背中には屏風(びょうぶ)が立てられている。

大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は京都(きょうと)大番役(おおばんやく)として在京(ざいきょう)していたが、5月に起こった｢以仁王(もちひとおう)の挙兵(きょへい)｣では追討(ついとう)の任(にん)にあたり、ともに在京(ざいきょう)していた弟の俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)や従弟(いとこ)の梶原景時(かじわらのかげとき)(41)ら坂東(ばんどう)武士(ぶし)300騎(き)を率いて源頼政(みなもとのよりまさ)(75)追討(ついとう)にあたって大いに活躍した。戦(いくさ)から2ヶ月が経(た)ち、平清盛(たいらのきよもり)(63)の命(めい)により源頼政(みなもとのよりまさ)(75)の孫源有綱(みなもとのありつな)(30)を追補(ついほ)するために7日前(8月2日)に相模国(さがみのくに)へ帰国(きこく)し、大庭(おおばの)館(やかた)に戻ってきていた。

下座(しもざ)には向かい合うように一族たちが座っている。居並(いなら)ぶ一族たちの顔ぶれは、上座(かみざ)側から俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)、長江義景(ながえのよしかげ)(51)、香川(かがわの)家政(いえまさ)(43)、梶原景時(かじわらのかげとき)(41)、長尾為景(ながおのためかげ)(28)、長尾宗景(ながおのむねかげ)(26)ら親族たち。さらに鎌倉(かまくら)、田村(たむら)、柳下(やぎした)、小坂(おさか)、金井(かない)、深沢(ふかさわ)、酒匂(さこう)ら一門(いちもん)たちも顔を揃(そろ)えていた。末席(まつせき)には大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)の嫡男(ちゃくなん)大庭(おおばの)景盛(かげもり)(21)が着座(ちゃくざ)している。

今後のことを話しあっていた一族たちがいつの間(ま)にか白熱(はくねつ)して騒ぎとなっていたが、棟梁(とうりょう)の大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は腕(うで)を組んでじっとただただ黙っている。以仁王(もちひとおう)(31)を担ぎ上げて平氏(へいし)打倒(だとう)の兵(へい)を挙(あ)げた源頼政(みなもとのよりまさ)(75)の軍勢(ぐんぜい)を鎮圧(ちんあつ)し、平清盛(たいらのきよもり)(63)をもってして｢東国(とうごく)の御後見(ごこうけん)(総司令官(そうしれいかん))｣と言わしめたほどの将(しょう)たる風格(ふうかく)が漂(ただよ)っている。

大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は大庭景宗(おおばのかげむね)の次男でありながら、通称を平(たいらの)三郎(ざぶろう) (平三(へいざ))という。以下三郎(さぶろう)と称す。保元(ほうげん)元年(1156年)の保元(ほうげん)の乱(らん)で17歳で初陣。負傷(ふしょう)した兄懐島景義(ふところじまのかげよし)(当時19)の窮地(きゅうち)を救い、戦後(いくさののち)に家督(かとく)を譲(ゆず)られた。平治元年(へいじがんねん)(1159年)に起こった｢平治(へいじ)の乱(らん)｣で大庭(おおばの)景親(かげちか)(当時20)は平家(へいけ)側に与(くみ)していたために平清盛(たいらのきよもり)(当時42)への接近(せっきん)に成功(せいこう)し、源義朝(みなもとのよしとも)(当時37)に与(くみ)していたことで相模(さがみの)国内(くにのうち)において劣勢(れっせい)に立たされた三浦(みうら)や中村(なかむら)の勢力(せいりょく)を抑(おさ)えて、相模(さがみの)国内(くにのうち)での立場(たちば)を強化していた。

と、そこへ懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)が足を引きずりながら入ってきた。長男懐島景兼(ふところじまのかげかね)(26)と次男懐島景連(ふところじまのかげつら)(24)を伴(ともな)っていた。

懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)は大庭景宗(おおばのかげむね)の長男であり、通称を平(たいらの)太郎(たろう)(平太(へいた))という。以下太郎(たろう)と称す。

保元(ほうげん)元年(1156年)の保元(ほうげん)の乱(らん)で19歳で源義朝(みなもとのよしとも)(当時34)に従軍。源為朝(みなもとのためとも)(当時18)の矢を左(ひだり)膝(ひざ)に受けて負傷(ふしょう)し、歩行も難しい身となり家督(かとく)を弟大庭(おおばの)景親(かげちか)(当時17)に任せて懐島(ふところじま)(現在の茅ヶ崎市(ちがさきし)円蔵(えんぞう))に隠棲(いんせい)していた。

京都から戻ってきた弟大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)からの招集(しょうしゅう)に応じて懐島(ふところじま)から息子たちを共(とも)だって駆(か)けつけたのだった。

太郎「おおう、三郎。五郎もおるな。それに方方(かたがた)、待たせたなあ。古傷(ふるきず)が痛(いた)んで思うように足が動かなくてな、遅れてすまなかった。」

五郎「おお、これはこれは、太郎(たろう)兄(あにい)。よくぞ遠方から参(まい)られましたな。」

太郎「なあに、久しぶりにわれら兄弟が顔を合わせるのだ。楽しみに参(まい)ったぞ。皆揃(そろ)っておるのか。」

五郎「それが、次郎(じろう)兄(あにい)がまだにございます。次郎(じろう)兄(あにい)はてっきり太郎(たろう)兄(あにい)と一緒にお越しになるものと思うておりました。それにこのあと、飯田家義(いいだのいえよし)(23)殿と波多野義常(はたのよしつね)(40)殿、それに首藤経俊(すどうのつねとし)(44)殿、佐々木秀義(ささきのひでよし)(69)殿もお越しになられるとのことにございます。」

太郎「ほお、さようか。」

懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)は足を引きずりながら上座(かみざ)に向かい、大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)の右側に座る。懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)に付き添ってきた長男懐島景兼(ふところじまのかげかね)(26)と次男懐島景連(ふところじまのかげつら)(24)は下座(しもざ)の末席(まつせき)、大庭(おおばの)景盛(かげもり)(21)に向かい合って着座(ちゃくざ)した。

太郎に｢五郎｣と呼ばれれた男は俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)。大庭景宗(おおばのかげむね)の四男であり、通称を平(たいらの)五郎(ごろう) (平五(へいご))という。以下五郎と称す。相模国(さがみのくに)鎌倉郡俣野郷(またのごう)(現在の横浜市(よこはまし)戸塚区(とつかく)俣野町(またのちょう))を領し俣野(またの)氏を名乗っていた。俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)は兄大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)や梶原景時(かじわらのかげとき)(41)らとともに京都(きょうと)大番役(おおばんやく)として在京(ざいきょう)していたが、朝廷(ちょうてい)の御前(ごぜん)相撲(すまい)(相撲(すまいの)節会(せちえ))での相撲人(すまいにん)として3年間無敗(むはい)を誇(ほこ)った豪傑(ごうけつ)であり、｢以仁王(もちひとおう)の挙兵(きょへい)｣を鎮圧(ちんあつ)した坂東(ばんどう)武士(ぶし)300騎(き)の軍勢の先陣(せんじん)を務めていたのも俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)であった。

懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)らが座るやいなや、豊田景俊(とよだのかげとし)(36)が長男豊田景次(とよだのかげつぐ)(16)を伴(ともな)いどたどたと入ってきた。

豊田景俊(とよだのかげとし)(36)は大庭景宗(おおばのかげむね)の三男であり、通称を平(たいらの)次郎(じろう)(平次(へいじ))という。以下次郎と称す。相模国(さがみのくに)大住郡(おおすみぐん)豊田郷(とよだごう)(現在の平塚市(ひらつかし)豊田(とよだ)本郷(ほんごう))を領し豊田(とよだ)氏を名乗っていた。中村(なかむら)氏や三浦(みうら)氏の領地と接する大庭(おおば)氏の最前線(さいぜんせん)で、国境(こっきょう)をもつ最重要(さいじゅうよう)拠点(きょてん)に居(きょ)を構(かま)えていた。一族のなかでも智謀(ちぼう)･知略(ちりゃく)に富(と)んだ武士として名高(なだか)い。

次郎「遅くなり、申し訳ない。」

三郎「…。」

太郎「おおう、次郎。遠方よりご苦労であったな。それがしもいましがた着いたところだ。まあ、座れ。」

次郎「ははあ。」

五郎「次郎(じろう)兄(あにい)、お待ちしておりましたぞ。」

次郎「おおう、五郎。遅れてすまんな。」

豊田景俊(とよだのかげとし)(36)が俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)の向かいに座る。豊田景次(とよだのかげつぐ)(16)は懐島景兼(ふところじまのかげかね)(26)や大庭(おおばの)景盛(かげもり)(21)ら従兄弟(いとこ)の座っている下座(しもざ)の末席(まつせき)に向かう。

大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)、懐島景義(ふところじまのかげよし)(43)、豊田景俊(とよだのかげとし)(36)、俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)、4人の兄弟たちが揃ったところでようやく一族の長(おさ)である大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)が口を開いた。

三郎「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。あのことだ。」

次郎「あのこと、でございますな。」

三郎「うむ。皆のもとにも使者(ししゃ)が参ったことと思うが、どうお考えか、飯田(いいだ)、波多野(はたの)、首藤(すどう)、佐々木(ささき)らが到着する前に、皆の意見も聴きたい。」

｢以仁王(もちひとおう)の挙兵(きょへい)｣後、大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)がまだ在京(ざいきょう)していた5月のこと。

源頼朝(みなもとのよりとも)(34)は足立盛長(あだちのもりなが)(46)に源家累代(げんけるいだい)の家人(けにん)の動向を探らせていた。大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)のもとに使者(ししゃ)として訪れた足立盛長(あだちのもりなが)(46)が｢三代にわたって源家相伝(げんけそうでん)の家人(けにん)であったのだから、源家中絶(げんけちゅうぜつ)のあとを興(おこ)すことに加勢(かせい)すべし｣と伝えたとき、大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は｢保元(ほうげん)の戦(いくさ)では天皇(てんのう)の命令(めいれい)で源義朝(みなもとのよしとも)に従ったものの、源家(げんけ)の相伝(そうでん)の家人(けにん)ではない上に、天養(てんよう)の戦(いくさ)で源義朝(みなもとのよしとも)に散散(さんざん)攻め込まれた恨(うら)みをわれら一族は決して忘れてはいない｣と拒否していた。

太郎「ああ、あの猿(さる)のことか。それがしのもとにも来おったわ。」

三郎「いや、足立盛長(あだちのもりなが)(46)のことではござらん。きゃつが持ってきたその内容のことよ。」

太郎「おお、さようさよう、あのことだな。」

五郎「京都(きょうと)のボン佐(すけ)が挙兵(きょへい)するなどと、真(まこと)のことか。」

次郎「真(まこと)のことにございましょう。伊豆国(いず)の北條(ほうじょう)をはじめ、土肥(どひ)や中村(なかむら)もすでに挙兵(きょへい)のための軍備(ぐんび)を整えているとの由(よし)にございます。それを援助(えんじょ)しているのが比企(ひき)や足立(あだち)であり、さらに、三浦(みうら)も…。」

五郎「やはり、三浦(みうら)もか…。しかし、信じられん。以仁王(もちひとおう)(31)と源頼政(みなもとのよりまさ)(75)が挙兵(きょへい)したときでさえ、何もせずに見殺(みごろ)しにしたやつが、いまさら兵(へい)を挙(あ)げるとはな。」

次郎「源頼政(みなもとのよりまさ)(75)の挙兵(きょへい)で源氏追討(げんじついとう)の動きが高まっておりますからな。三郎(さぶろう)兄(あにい)が京都から戻られたのも、源頼政(みなもとのよりまさ)(75)の孫源有綱(みなもとのありつな)(30)を追補(ついほ)するため。ほかの源(げん)氏(じ)たちも身の危険を感じておりましょう。ボン佐(すけ)にとっても、自身に火(ひ)の粉(こ)がふりかかれば、いたし方のないことでしょうな。」

五郎「気に食(く)わんな。そもそもだ。｢三代にわたって源家相伝(げんけそうでん)の家人(けにん)であったのだから、源家中絶(げんけちゅうぜつ)のあとを興(おこ)すことに加勢(かせい)すべし｣というきゃつらの言い分が気に入らん。保元(ほうげん)の戦(いくさ)では天皇(てんのう)の命令(めいれい)でいまは亡き源義朝(みなもとのよしとも)公(こう)に従ったまでのこと。それを源家(げんけ)の相伝(そうでん)の家人(けにん)などと、片腹痛(かたはらいた)いわ。われら一族、天養(てんよう)の戦(いくさ)で源義朝(みなもとのよしとも)公(こう)に散散(さんざん)攻め込まれた恨(うら)み、忘れてはいない。」

｢おおう!!｣と一族たちの勇ましい声があがる。大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)が足立盛長(あだちのもりなが)(46)に答えた内容と同じことを俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)が言っているところはさすが兄弟だ。保元元年(ほうげんがんねん)(1156年)に起こった｢保元(ほうげん)の乱(らん)｣では鎌倉一族は天皇(てんのう)の命(めい)で源義朝(みなもとのよしとも)(当時34)に与(くみ)していたが、平治元年(へいじがんねん)(1159年)に起こった｢平治(へいじ)の乱(らん)｣では鎌倉一族の多くが平清盛(たいらのきよもり)(当時42)に与していた。大庭(おおばの)景親(かげちか)(当時20)も当然、打倒源義朝(みなもとのよしとも)(当時34)のために出陣していた。｢源家相伝(げんけそうでん)の家人(けにん)｣などと言われて屈辱的(くつじょくてき)に感じる一族たちも決して少なくなかった。いや、むしろ、源家(げんけ)を、特に源義朝(みなもとのよしとも)を恨(うら)む者たちの方が多かったかもしれない。それは天養元年(てんようがんねん)(1144年)に三浦(みうら)と中村(なかむら)が源義朝(みなもとのよしとも)と結託(けったく)して大庭御厨(おおばのみくりや)を侵略(しんりゃく)した過去があったからだ。このとき多くの死傷者を出し、私財(しざい)が強奪(ごうだつ)されている。もう36年も以前のことで実際に経験した者の多くがすでに亡くなっているが、一族たちはその恨(うら)みを決して忘れてはいなかった。そして、100年以上にわたる三浦(みうら)や中村(なかむら)との長い長い領地(りょうち)争(あらそ)いのなかで、しっかりと土地を守りつづけてきた先祖(せんぞ)への思い、そして大庭庄(おおばのしょう)を伊勢神宮(いせじんぐう)に寄進(きしん)して大庭御厨(おおばのみくりや)(神の領域)にすることで土地を子孫に残そうとした鎌倉権五郎景政(かまくらのごんごろうかげまさ)公を祖に持つ一族としての誇(ほこ)りが、彼らの闘争心(とうそうしん)に火をつけていた。

三郎「それにだ。囚人(とらわれびと)となってもはや斬(き)られるというところを平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)に救(たす)けられたこの御恩(ごおん)は、山よりも高く、海よりも深い。こうしてわれらが一族(いちぞく)郎党(ろうとう)を養(やしな)うことができるのも、すべては平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)のおかげだということを忘れてはならん。」

｢平治(へいじ)の乱(らん)｣において平清盛(たいらのきよもり)(当時42)に与した大庭(おおばの)景親(かげちか)(当時20)は、源義朝(みなもとのよしとも)(当時37)に囚(とら)われ、あわわや首をはねられるというところで、平清盛(たいらのきよもり)(当時42)が勝ったことによって命拾いしていた。源義朝(みなもとのよしとも)に対する恨(うら)みと平清盛(たいらのきよもり)に対する恩義(おんぎ)は人一倍(ひといちばい)強(つよ)かった。戦後(いくさののち)、大庭(おおばの)景親(かげちか)は平清盛(たいらのきよもり)に感謝の気持ちとして｢東国八カ国(はちかこく)一(いち)の名馬(めいば)望月(もちづき)｣を贈っている。

次郎「しかしながら、中村(なかむら)も三浦(みうら)もこの挙兵(きょへい)に一枚噛(か)んでいるということは、これは京都(きょうと)のボン佐(すけ)(34)が平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)を打倒(だとう)するために兵を挙(あ)げたという単純な話ではございません。これまで100年以上もの長きにわたってつづいてきた中村(なかむら)や三浦(みうら)との領地(りょうち)争(あらそ)いが、いまだつづいているという証(あかし)にございます。」

五郎「それでは、やはり中村(なかむら)と三浦(みうら)がボン佐(すけ)(34)を担ぎ上げて、領地を拡大しようという思惑(おもわく)が根底(こんてい)にあるわけだな。この挙兵(きょへい)の実(じつ)のところは、平家(へいけ)と平家(へいけ)の領地(りょうち)争(あらそ)いということではないか。」

次郎「つまり、われらの領地こそが、標的(ひょうてき)になるということだ。」

太郎「で、戦況(せんきょう)をいかに見る、次郎。」

次郎「それがしは、ボン佐(すけ)(34)に勝機(しょうき)ありと見ております。」

居並(いなら)ぶ一族たちからざわめきの声があがる。

三郎「…。」

五郎「何をうろたえておるか。」

俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)の一声で一族たちはあっという間に静まり返った。ただ、大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は腕を組んでじっと黙っている。一族たちが固唾(かたず)を飲んで大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)の次の言葉をじっと待っている。

五郎「次郎(じろう)兄(あにい)、ボン佐(すけ)(34)に勝機(しょうき)ありとはどういうことだ。全く理解ができぬ。」

次郎「平家(へいけ)にあらずんば人にあらず、とまで隆盛(りゅうせい)を誇(ほこ)った平家(へいけ)にも、いま陰(かげ)りがさしている。そなたにも時の情勢(じょうせい)が見えぬわけではあるまい。」

三郎「…。」

五郎「何を申(もう)されるか。平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)はすぐに援軍(えんぐん)を差し向けてくれよう。三郎(さぶろう)兄(あにい)が贈(おく)った｢望月(もちづき)｣でな。それに、鎌倉(かまくら)にはそれがしがおる。われら四兄弟がおるではないか。ほかにも、香川(かがわの)家政(いえまさ)(43)殿もおれば、梶原景時(かじわらのかげとき)(41)殿もおる。長尾(ながお)兄弟もおるし、高座(たかくら)の渋谷(しぶや)殿や山内(やまのうち)の首藤(すどう)殿もおる。こたびもわれら一族が力を合わせて、圧倒的な力でねじ伏(ふ)せてやろうではないか。」

次郎「われらだけで、ボン佐(すけ)(34)に勝てるというのだな。」

五郎「当然(とうぜん)だ。三郎(さぶろう)兄(あにい)は平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)から｢東国｣を任されている身(み)。戦(いくさ)とあらば、坂東(ばんどう)の平家の軍勢を総動員(そうどういん)して、ボン佐(すけ)(34)なんぞ蹴散(けち)らしてくれようぞ。三浦(みうら)にしても、源義朝(みなもとのよしとも)公の義理の伯父(おじ)だからと三浦義明(みうらのよしあき)(89)殿(どの)が息巻(いきま)いておるのであろうが、所詮(しょせん)は老将(ろうしょう)。ぶちのめすまでのこと。」

居並(いなら)ぶ一族たちから｢おおう!!｣とまた歓声(かんせい)があがった。俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)の言葉に一族たちの士気(しき)はぐんと高まった。

しかし、そこにさらに水を差(さ)したのは三男の豊田景俊(とよだのかげとし)(36)であった。

次郎「うう…む。」

五郎「一体(いったい)全体(ぜんたい)、いかがなされたのか、次郎(じろう)兄(あにい)。」

太郎「この戦(いくさ)、負けるはずがない。なれど、何か不安でもあるのか、次郎。」

次郎「ははあ。確かに。東西を三浦(みうら)と中村(なかむら)に囲まれているとはいえ、相手が中村(なかむら)と三浦(みうら)だけであれば、まず負けることはありますまい。何しろ三郎(さぶろう)兄(あにい)が｢東国(とうごく)の御後見(ごこうけん)｣でございますからな。しかし、甲斐国(かい)の武田(たけだ)にも動きがあるようにございますし、わずかにでも戦況が変わったとき、京都(きょうと)を棄(す)てて福原(ふくはら)へ移(うつ)った平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)がはたして救(たす)けてくれましょうか。それに…。」

太郎「それに…なんだ。」

次郎「6月に、三浦義澄(みうらのよしずみ)(54)と千葉胤頼(ちばのたねより)(26)が京都から帰国して北條館(ほうじょうのやかた)に出入りしていたという情報をつかんでおります。」

五郎「何っ!?千葉(ちば)もか…。」

太郎「うむ。その話ならそれがしの耳にも入っておる。」

次郎「そして、心配なのは、平清盛(たいらのきよもり)(63)殿(どの)に勘当(かんどう)されている上総広常(かずさのひろつね)(61)殿の存在…。」

太郎「豊田(とよだ)の地は岡崎(おかざき)･佐奈田(さなだ)･土屋(つちや)･平塚(ひらつか)･二宮(にのみや)といった三浦一族(みうらのいちぞく)たちの領地に完全に囲まれておる。いままで表立(おもてだ)って敵対(てきたい)することなくやってこれたのも、次郎、そなたの力があってこそだ。その、そなたが申(もう)すことだ。捨て置くわけにはいくまい。」

次郎「もし千葉(ちば)殿や上総(かずさ)殿が動けば、情勢は一気に変わるやもしれません。」

着座(ちゃくざ)している豊田景俊(とよだのかげとし)(36)が急に上座(かみざ)の大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)の方へ向きを変えて平伏(ひれふ)しながら改まって話しはじめた。

次郎「三郎(さぶろう)兄(あにい)。兄上(あにうえ)たちには悪いのだが、それがしは三浦(みうら)に与(くみ)しとうございます。」

楽勝(らくしょう)の雰囲気(ふんいき)に水を差(さ)した豊田景俊(とよだのかげとし)(36)の言葉は、居並(いなら)ぶ一族たちを一気に騒然(そうぜん)とさせた。

三郎「…さようか。好きにするがよい。」

五郎「三郎(さぶろう)兄(あにい)っ!!なぜだ!?」

三郎「…。」

五郎「次郎(じろう)兄(あにい)も、ボン佐(すけ)(34)をぶっ倒すためにわれらが一致団結(いっちだんけつ)しようと話し合っているときに、何をふざけたことを申(もう)されるのか。」

次郎「豊田(とよだ)の地を守るための最善の道だ、五郎。」

五郎「中村(なかむら)や三浦(みうら)に屈(くっ)するというのか。われらの土地は御先祖(ごせんぞ)様(さま)が代代(だいだい)、攻め込んでくる中村(なかむら)や三浦(みうら)からずっと守り抜いてきたのだぞ。これでは、大庭(おおば)を御厨(みくりや)にまでしてわれら子孫にこの地を残した鎌倉権五郎景政(かまくらのごんごろうかげまさ)公や御先祖(ごせんぞ)様(さま)方(がた)に申し訳が立たないではないか。」

俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)の気迫に一族たちに緊迫が走る。そして大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)の静かな物言(ものい)いに、一族たちにさらに緊張感(きんちょうかん)が走った。

三郎「静まれ、五郎。次郎の話を聴こうではないか。」

些(いささ)かも納得(なっとく)のいかない俣野(またのの)景久(かげひさ)(34)ではあったが、すぐに姿勢(しせい)を正(ただ)した。

五郎「…ははあ。」

次郎「それがしたちは皆、一族(いちぞく)郎党(ろうとう)をかかえる棟梁(とうりょう)だ。三郎(さぶろう)兄(あにい)は大庭御厨(おおばのみくりや)、太郎(たろう)兄(あにい)は懐島(ふところじま)、五郎は俣野(またの)、そしてそれがしは豊田(とよだ)。最優先に考えるはそれぞれの領地、すなわち一族(いちぞく)郎党(ろうとう)の行く末だ。」

五郎「当然のことよ。」

次郎「では、もし万が一、ボン佐(すけ)(34)が勝つようなことがあればそなたいかがいたすか。」

五郎「そのようなことには絶対(ぜったい)にならん。しかし、もし万が一そのようなことになれば、それがしは三郎(さぶろう)兄(あにい)に従い、平家(へいけ)の誇(ほこ)りをかけて最期の最期まで戦い抜くぞ。坂東(ばんどう)ではそれがしに敵(かな)うやつなどおらん。当然、相手が次郎(じろう)兄(あにい)でも容赦(ようしゃ)はせんぞ。」

次郎「では、そなた、平家(へいけ)の誇(ほこ)りとやらをかけて討死(うちじに)したときは、いったい誰が俣野(またの)の地を治(おさ)めるというのだ。」

五郎「それは…しかし…。」

太郎「なあ、三郎。次郎。五郎。それがしはな、保元(ほうげん)の戦(いくさ)で源為朝(みなもとのためとも)公の矢を左膝に受けて以来、大庭(おおば)を三郎に任せて懐島(ふところじま)に隠棲(いんせい)してきた身だ。三郎とは違い何ら力もない。だが、1つ提案させてくれ。」

三郎「…。」

五郎「提案とは…。」

太郎「もう10年以上も前から、京都(きょうと)のボン佐(すけ)(34)とは狩(か)りや相撲(すまい)などで親交(しんこう)をもってきた。少なからずそなたたちもだと思うが、それがしはボン佐(すけ)…もとい源頼朝(みなもとのよりとも)(34)殿に好感(こうかん)をもっておる。わずかな勝機かもしれんが、それがしも次郎とともに三浦(みうら)につくのが、一族(いちぞく)郎党(ろうとう)にとっては得策(とくさく)と思うとる。」

五郎「太郎(たろう)兄(あにい)まで…。」

太郎「それがしが次郎より先に言い出すべきだったのだが、実はな、それがしは去(さ)る5月に源頼朝(みなもとのよりとも)(34)殿から挙兵(きょへい)に加勢(かせい)すべしと報(ほう)が届いたとき、快(こころよ)く引き受けたのだ。」

居並(いなら)ぶ一族たちに激震(げきしん)が走る。

と、同時に、一斉(いっせい)に一族たちの視線(しせん)は三郎に注(そそ)がれる。

三郎「…。」

太郎「どうだろうか。勝負はときの運。もし平家(へいけ)が勝ったときは、それがしたちは三郎を恃(たの)む。源氏(げんじ)が勝ったときは、そなたたちはそれがしを恃(たの)む、というのは。互いに助けあうことを誓おうではないか。」

五郎「袂(たもと)を分(わ)かつ…ということでございますか。」

太郎「いかにも。これも策よ。戦(いくさ)の勝ち負けで一族が滅びぬよう敵(てき)味方(みかた)に分かれるということだ。」

五郎「三郎(さぶろう)兄(あにい)、ずっと黙っておられるが、本当にこれでいいのか…。」

大庭(おおばの)景親(かげちか)(41)は静かに頷(うなず)く。そして静かに立ち上がり、居並(いなら)ぶ一族たちに語りはじめる。

三郎「方方(かたがた)、以上のとおり、われら兄弟は袂(たもと)を分(わ)かち戦うこととあいなった。方方(かたがた)のなかにはすでに三浦(みうら)や中村(なかむら)と通じておる者、あるいは婚姻(こんいん)を結んでいて苦しい立場にある者も少なくないはず。誰がどちらに与(くみ)そうとも、負けた者は勝った者を恃(たの)むこと。方方(かたがた)、よいな!!」

居並(いなら)ぶ一族たち皆、深く平伏(ひれふ)して一斉(いっせい)に｢ははあ｣と応える。

五郎「まさか、このようなことになろうとは思ってもみなんだが…。」

次郎「ひとまず今夜が、兄弟4人が揃(そろ)う戦前(いくさまえ)最後の晩餐(ばんさん)となろうな。」

これ以降、4人が揃うことはなかった。今宵が四兄弟が揃う最後の晩餐(ばんさん)となった。